書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

就活と1995年の事件とわたし

25年位前、就職活動をしていた。全然うまくいかなかった。

 

今思えば、何もかもが足りていなかった。自分を客観的に見る力も、自分自身を掘り下げる力も、働くということがどういうことなのかを考える力も。なんとなく女性でも活躍できそうな仕事がいいな、というくらいの気持ちしかなく、うまくいかないのは当たり前だった。

同級生がどんどん内定をもらっていく中で、まったく結果が出なかった。最終選考まではなんとか進むものの、その先にいけない。「なんとなく人当たりと要領はよさそうだけど、きちんとモノを考えることができない子」。わたしが採用担当だったら、きっと当時の自分をそんな風に評したに違いない。

一応、それまではなんとなく「優等生」で、それなりにやってこれていた。そのやり方が通用しないのが辛かった。辛かったけど、辛さの原因が自分の甘さにあることも明らかだったので、辛いとも言えず、悶々と鬱々としていた。ぐちゃぐちゃでドロドロだった。

 

結局、最後の最後で拾ってくれた会社に入社することになったのだけれど、当時は全然納得いっていなかった。東京本社の、もっともっと大きな会社で働きたいと思っていたので(←もうそんな風に思っている時点でダメなんだけど…)、負けた気がした。(ま、結局その会社で大いに鍛えられ、今の自分の土台が築かれたと思っているので、結果オーライなんだけど、それがわかったのは、もっともっと先のハナシ)

 

「正解」がある世界で生きていきたい。「正解」がある世界でなら、きっと自分も高く評価されるはずなのに。認められるはずなのに。なにかの「正解」さえ示してくれたら、一生懸命頑張るのに。自分で考えることを急に求められても困る!そんな風に思っていた。

時々ぼんやりと「あぁ、学生運動が盛んな時代に生まれていたらよかったなぁ」なんて思ったりもした。戦う相手がはっきりしていて、みんなで一つの目標に向かっていけた時代がうらやましかった。(別に戦う相手もはっきりしておらず、”みんな”でも”一つ”でもなかったことがわかったのは、もっともっと先のハナシ)

 

社会人になって1年目の冬に阪神淡路大震災が起こり、春先にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。

地下鉄サリン事件の報道が連日行われる中で、幹部の多くが高学歴であることにも触れられていた。「優秀な人がなんでこんな犯罪に加担してしまったんだろう」という論調も多かった気がするのだけれど、わたしは、なぜ高学歴な人が加担してしまったのかがわかってしまうような気がする自分自身が怖かった。怖くて怖くてたまらなくて、その気持ちには蓋をすることにした。

当然のことながら、わたしはサリンを撒いていない。撒いていないんだけれど、あの就活で辛かったとき、自分が社会から必要とされていないように感じたとき、誰かに「正解」を与えてほしいと思ったとき、心のどこかに空洞があったことは確かで、もしも、もしも、なにかのきっかけさえあれば、ボタンの掛け違えがいくつか重なれば、どうだったのだろう。ふとしたきっかけで走り出した何かが、歯止めを失ってしまったとき、わたしはわたし一人の力でそれを止めることができただろうか。できなかったのではないか。

あの時に感じた「自分自身への恐怖感」は、今も、心の、頭の、細胞のどこかにある。

 

あっち側とこっち側は、そんなにはっきり分かれていない。

 

今日、オウム真理教の一連の事件で死刑囚となっていた7名の死刑が執行されたという。最近は、あのときの怖さの感覚を思い出すことは減っていたけれど、そのニュースを聞いて、思い出してしまった。「あっち側」と「こっち側」は地続きだ。あれは、狂った誰かが起こした事件だったのか。この社会の中に居場所と役割と承認がほしくてたまらなかった”わたし”が起こした事件だったのではなかったのか。

 

ありがたいことに、わたしは今、役割と居場所を与えられ、なんじゃかんじゃともがきながらも、ご機嫌に日々を生きることができている。だからこそ、地続きのあっち側とこっち側の間に、それでもなにかそこを分ける「一線」と呼べるものがあるとしたら、それは何なのかを考え続けなければならないと思っている。

 

事件で亡くなられた方のご冥福と、ご遺族の方、今も後遺症に苦しんでいらっしゃる方、それを支えていらっしゃる方のお心が少しでも癒されることをお祈りいたします。