書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

起業支援ネット前史

起業支援ネットの設立が1998年(法人化は1999年)。その前身である起業支援事務所ワーカーズ・エクラのスタートが1992年。もはや「歴史上の出来事」と言っても差し支えないのではないかしら…。

 

起業の学校を20年近く運営してきて、改めて「起業の学校」ってなんだったっけ…?と考えている。それを考えるには、やっぱり起業支援ネットの原点に立ち返る必要があるんじゃないかなと思ったのです。

 

わたしが起業支援ネットに入ったのが2002年なので、1992年~2001年の歩みは知らない。資料もそんなには残ってない。…のだけれど、わたしには起業支援ネットの設立者・関戸美恵子の娘という立ち位置もありまして、数少ない資料と、娘としての記憶と、その後一緒に仕事をしてきた日々を足して掛けて想像で補えば、何とかなるのではないかと。

 

というわけで書いてみる。

 

ワーカーズ・エクラ立ち上げの1992年(31年前)。当時、関戸は44才。

大学卒業後、私立高校の教員を経て結婚、出産。

専業主婦を経て1979年から10年以上、めいきん生協(当時。現コープあいち)全体理事として商品開発、店舗開発、イベント運営、教育、人材育成、組織づくり等に携わっていました。

当時、まだNPOも(社会的にその萌芽はあったとはいえ法律的に位置付けられていないという意味で)ない時代。食品添加物の問題、公害の問題等社会的な問題意識を持つ女性たちの社会参加の受け皿としての機能もあったのだと思います。

 

そんな中で、非常勤&無給の理事ながら、関戸はどんどん生協の活動に嵌っていったようで、わたしも幼いながら生協の活動をものすごく大切にしていた母の姿は覚えています。理事会の前とか後とかは、ものすごく長電話してたし。とはいえ、それはあくまでも専業主婦として妻・母という役割をメインにしながらのボランティアとしての地域活動・社会活動でした。

 

そんな中で、関戸は少しずつ組合員の方たちから相談を受けるようになったと言います。

・生協の活動もやりがいはあるが、実は昔から商売がやってみたかった。

・お総菜屋さんとかやってみたいんだけど、ずっと専業主婦だったし無理かな…?

・親の介護のときとても大変だったけど、どこにも相談できなかった。介護中の人が気軽に集える場所をつくりたい。

 

…この辺りの具体例はちょっと記憶も曖昧なんですけど、要は「特別な経験や資格や能力や資金を持っているわけではないけれどもやりたいことがある」「受益者負担だけでは成り立ちづらいけれども生活の中の切実なニーズを感じていて、それをなんとかしたい」というような領域で「何かをやりたい」という女性たちがいたということ。同時多発的に。

 

でも相談されても、関戸だって「ビジネス」なんてやったことがない訳です。生協の理事の経験を通じて、企画力、推進力、交渉力などなどは高めていったようですが、でもだからと言って「事業」についてのアドバイスができるわけではない。

 

というわけで、「世の中にはそういうことを応援してくれる人や場所がきっとあるだろうから、探そう。探していってみよう」ということで、起業したい女性たちと一緒に当時あった創業支援の窓口をいくつか尋ね歩いたそうです。

 

でも、時代は1980年代。創業支援の窓口が女性たちに開かれていたとは言い難い時代。ぶっちゃけ、全然真剣に相談に乗ってもらえなかったようなんです。

「それはボランティアですよね」「ご主人はどうおっしゃってるんですか」

そんな言葉で括られて、商品サービスやビジネスモデルや資金調達の話には至ることなく、しょんぼりと帰ってくる日々が続き…。

 

「確かに大きな利益は出ないかもしれない。マーケットは小さいかもしれない。でも、切実にそれを必要とする人たちの顔が見えていてニーズはある。なにより、それに対して真剣に自分の人生として引き受けて立とうとしている人たちがいるのに、誰も応援しない世の中はおかしい」

 

誰も応援しないなら自分がやる。教員と主婦と生協の理事の経験しかない関戸が「女性の起業支援事業で起業しよう」と決めたのは、こんな背景だったのです。

 

1992年にワーカーズ・エクラを立ち上げてからも、実はすぐに女性の起業事業が軌道に乗ったわけではなく、企業のマーケティングや広報、社内研修の手伝いなど、いただける仕事はなんでもやりつつ、協力者・応援者になってくれそうな人を人づてに訪ね歩く日々。当時はかなり厳しい指摘もたくさんもらっていたようです。一番多かったのが「起業をしたい女性がそんなにいるわけがない」「マーケットがない、ニーズがない」というもの。

今、日々起業を目指す女性たちの声を聴くわたしとしては、この指摘はあたらなかったのだと知っています。でも当時(関戸自身の当時の危なっかしさも含めて)、良かれと思って指摘してくださったんだろうなということも分かります。

関戸はその後も繰り返し言っていました。「他者からの指摘に謙虚に耳を傾けることは大事。相手は自分の貴重な時間を使って言ってくださっているのだし、自分が考えてもいなかった視野をいただくことができる。それでも、全部を真に受ける必要はない。”見えている”ものがあるなら、進めばいい」

 

厳しい指摘をしながらも協力してくださる人が何人も現れて、1993年に初めての「女性のための起業スクール」を開催。

「蓋を開けてみたら、すごくたくさんの方が来てくれたの!もう嬉しくってね。やっぱり起業したい、起業を学びたい女性たちはいたんだ!って。でも当時は自分で教えられることなんてなにもなくて、プログラムのほとんどを外部講師の方にお願いしていてね。自分が学びたいことを教えてくれそうな人を呼んで、生徒さんたちと一緒にわたしも学んだのね。講師のみなさんに謝金を払ったらほとんど何も残らなくて、残った2万円で事務所のホットカーペットを買ったの。嬉しかったなぁ」と関戸が語っていたことを今でも時折思い出します。

 

そう、起業支援ネットは「何かを知っている、何かを教えられる、何かを支援できる」から始まった団体ではありませんでした。「わたしもよくわからないけど、一緒に学ぶ場はつくれるし、一緒に考えることはできるよ」「一人ひとりの歩みが小さくても、ゆっくりでも、それが大きなうねりになることもある。わたしたちはここにいて、こんなことを考えているということを発信して仲間を増やしていこう」「今までとは違う価値観、流儀やスタイルだとしても、大事だと思うものを大事にしていこう」

これが起業支援ネットの原点なのです。

 

1996年にウィルあいち(愛知県女性総合センター)がオープンするときに、目玉講座として女性起業家を支援する講座や女性の起業フォーラムを受託するようになってから、少しずつ事業は形になってきたものの、今度は「自分が本当に応援したいのは”女性の”起業だったのか」という問いに突き当たります。

 

女性のための起業支援から、新たな価値の創出に舵を切りたい。それは、1998年1月に(起業支援ネットの設立を視野に入れて)発行されたワーカーズ・エクラの交流誌「Passion」の一節にも見て取れます。

 

巷では、年が改まっても一向に回復しそうにない景気に神経を尖らせ、株が上がらない、円が安い、今度はどこがどこが倒産するのかと不安を募らせています。そんな「不」の大合唱の中から「自己責任」という言葉が忽然と姿を現し始め、それは独立、起業といった言葉とも重なり合い、いわゆる”起業ブーム”はまだ当分続きそうな勢いです。しかし、その内実は発展神話の価値観や大企業中心の価値観を一方に引きずりつつの掛け声であり、そこには当然矛盾もねじれも在るのです。私が”グラスルーツ”に徹頭徹尾こだわり続けるのは、旧態依然の価値観や手法をそのままに、現象や結果からのみ煽られているような”起業ブーム”とはある意味で一線を画したいからなのです。それが私のせめてもの矜持、ひそかに抱く起業の「粋」… 「手前勝手で底の浅いブーム」に乗せられ流されるという「野暮」にだけはささやかだからこそ陥りたくないのです。

 

私たちが私たち自身の手で、起業支援センターを目指すのは、どこまでも身の丈と主体性を大切にしたいからであり、そこでは当然価値観も手法も思い切ってシフトする「勇気」や「自分を変えていく絶え間ない営み」が求められます。ゆっくりでいいのです。いえこれは、ゆっくりでなければ、なし得ないことなのです。すべてを一挙に解決する打ち出の小槌が欲しいわけではないのです。自分の起業を創造し、自分を拡げ自分を変えながら仲間を拡げる…そんな息長い努力の中から、私たちなりのそしてあくまでも「一つの」、社会システムやなにがしかの「組織」が育っていけば…まずはそれを追及してみたいと思っているのです。言い換えれば、起業支援センターをつくることのみに価値があるのではないのです。それを誰とどのようにしてつくっていくのか、という「流儀・スタイル」にも、つくることそのものと同じ位、大きな意味があるのです。(中略)過程そのもの、方法そのものを存分に味わい楽しみたいのです。

 

(中略)

 

「不」の大合唱も泥縄の「自己責任」もどうということはありません。なぜと言って、私たちは、ワクワク出来る、ドキドキ出来るのですから。自分をいとおしく思い、他人を大切にしたいから、物好きな起業人生を選んだのですから。

 

1998年、新たな物語の始まりです。みなさんとご一緒でなければ決してつくれない物語…さあ!ご一緒に…     (原文ママ

 

 

ワープロベタ打ちのニュースレター(多分、郵便の宛名も手書きで書いてた…手伝った覚えがある…)に描かれた、まだほのかに青さも匂う文章。この文章を書いた関戸が、今のわたしと同い年だということに少々戸惑いつつ、それでも「大事なことは全部ここに書いてあったわ!」という気持ちにもなります。

 

一人ひとりが主体性と身の丈を大事にすること。

わたしたち起業支援ネットは、事業を支援するものであるのみならず、価値観も手法も思い切ってシフトする「勇気」や「自分を変えていく絶え間ない営み」の目撃者であり、伴走者でもあるということ。

 

今は当時に比べたら、創業支援・起業支援の社会資源は圧倒的に増えました。何よりインターネットも普及して、情報も格段に取りやすくなりました。一方で、関戸が目指した上記の志が果たされたとはまだ言い難い。社会の矛盾や困難はより弱いところに向かうようになり、「ワクワク」「ドキドキ」すら贅沢なものと思われるようになってしまった節もあります。社会全体がやせ細りつつあるようにも思えます。

 

でも、だからこそ。「自分をいとおしく思い、他人を大切にする、物好きな起業人生」はこれからもますます求められるのでしょう。「ワクワク」「ドキドキ」は本来誰にも奪われることのない内発的なもの。人が生きる上での尊厳にもつながるもの。

 

改めて原点に立ち返って、ご一緒させていただきます。

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npo-kigyo.net

 

 

こちら、晩年の関戸の写真。

一応事務所の隅っこには飾ってあるのですけれど、やはりこの人と出会いなおすには、写真よりも文章を読んだ方がいいですね。