書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

土砂の中のキャベツと起業の学校と

 

先日、8年ぶりの因縁を果たしに(?)岡崎に行った。

8年前、「聴く」ことをもっと学びたいと思っていた時に、とあるメーリングリストに流れてきた開催案内をきっかけに、橋本久仁彦さんの2泊3日のセミナーに申し込んだ。開催地は淡路島。夫は海外赴任中で、当時中学生の長女と小学生の長男のことを義母にお願いし、仕事の算段もやっとの思いでつけて、意気揚々と淡路島に向かったのだった。

全国から集まったメンバーと自己紹介して、オープニングのワークがあって、いよいよ本番のワークが始まって、どれもこれも「あぁ、これは今の自分に必要だ」と思えるもので、どっぷり味わい始めていたときに、父からの電話が鳴った。最初は放っておいたのだけれど、あまりに何度もかかってくるので渋々折り返したら、母が救急車で運ばれたという報せだった。

最初は「え、今、わたし淡路島にいるからすぐには帰れないよ、悪いねぇ。帰ったら顔出すわ」というノリだったのが、その後妹からかかってきた電話で、実は父が言っていた以上に状況は切迫していたことを知った。新神戸に向かう最終のバスには間に合いそうだということで、わたしは淡路島に一泊もせずに、帰ったのだった。

 

その後、10日ほどの入院ののち、一度も意識を取り戻さないで母は亡くなった。

 

ずっと心残りだった。あの時、もう少し学びたかったという想いはずっと残っていて、橋本さんから折々に届く講座やイベントの案内メールは一応チェックしていた。東海地方で開催されるものもいくつかあり、その都度手帳を確認したりはしていたけれど、それでもなぜかそれ以上にはならなかった。なんとなく橋本さんがつくる場と母の死がセットで想起されてしまい、怖さを感じていたようにも思う。3年経ち、5年経ち…、もうこのまま一生ご縁はないのかもしれないな。そんな風に思ったりもした。

 

けれど、5月の終わりに流れてきた講座案内の中に岡崎開催の回を見つけたとき、いつもと違うスイッチが入った。この日なら行けるかも。行きたい。行かねば。

なぜだかそう思って講座のリンク先を見ると、すでに半年前に終了した講座の案内が表示され、6月開催の案内がどこにもない…。どうも個人の方が主催しているらしく、連絡先もメールアドレスだけ。でも、不思議と怪しい感じはしなくて、思い切って「6月の講座の参加者は募集されているのでしょうか?もし可能なら参加したいです」とメールを送った。お返事には、いろんな状況の中でバタバタしていて案内文も作成できていないこと、よかったらぜひ参加してくださいということ、きっと少人数の場になると思いますということが書いてあった。よし、行こう。そう思って参加することに。

 

講師の橋本さんと主催者のNさん、そしてわたし。小さな小さな場。たくさん話して、たくさん聴かれて、たくさん聴いた。たくさんの言葉を交わした気がするけれど、たったひとつのことだけを話していたような気もする。

 

そんな中で出てきたひとつの大切な言葉が「土砂の中のキャベツ」。

 

大事に育ててきた、育てていきたいキャベツが例えば土砂に埋まったとして。

でも、そこにキャベツはある。

誰もそこにキャベツが埋まっていると気づいてくれないと嘆いたり、

いっそのこと自分自身もキャベツなんか最初からなかった!!と思いたくなったりしても、

でもキャベツはそこにある。

 

ふふ、この文章を書きながら、ちょっと笑ってしまった。これは訳わからんわ…!笑

でも、わたしの中には、瑞々しいキャベツのイメージがありありとある。

大事にしたいことは大事にすればいい。そう決めたら、多分土砂など初めからなかったのだということに気づく。

 

わたしにとってのキャベツは何かと言ったら、それは実は「起業の学校」の中に詰まっている。

 

「命の使い方を学ぶ場所」というコンセプト。

理念を真剣に、本当に真剣に考えること。

学校とは結界でありアジールであるということ。

 

「命の使い方を学ぶ」というコンセプトは、自分の命を使う、全うするという意味でもあり、一方で、誰かの命に連なり、重なり、受け止めていくこと。

 

もちろん、起業の学校ではちゃんと事業として継続していくための事業計画づくりはやる。理念だけではなくて、商品サービスを考え、収支を考えることもやる。でも。

 

「想いだけでビジネスはできない」「独りよがりでは顧客に貢献できるサービスにならない」「事業としては成り立たない」というのは、本当にその通りなんだけど、だとしたらやるべきことは、その想いを「本物」にしていくこと。

中途半端に迎合した想いは、行き先を見失い誰にも届かないけれど、突き抜けた想いは必ず必要な人に必要な時に届く。

 

誰の中にも、多分、大事な大事なぴかぴかのキャベツが眠っている。土砂の中に埋もれているのかもしれない。土砂は日に日に降り積もり、キャベツの存在すら自分でも忘れそうになっているのかもしれない。でも、本当に大切なことは忘れられなくていつまでも疼き続け、下手をすると祟り神になってしまったりするので、やっぱりちゃんと向き合って大切にした方がいい。大切にできる自分になっていけばいい。

その道のりをお手伝いをしますよ、起業の学校は。

 

npo-kigyo.net

 

 

8年の時を超えて、思い切って出かけてよかったな。もし8年前に3日間きちんと受講できていたら、もうそれで満足してしまっていて、今回の出会い直しはなかったかもしれない。なんかあるよね、人生の中でそういうこと。