「きくとかく」を始めます
いくつかのタイミングが重なって、副業?ソロ活動?ライフワーク?のような形で、「きくとかく」という屋号での活動を始めます。
サービス内容としては…
◆インタビュー&ライティング
ーインタビュー&記事制作
ーインタビュー&書き起こし
ーインタビュー&記事制作&冊子化のディレクション
ー「きく」だけコースもあります
(金額目安:事前打ち合わせ+インタビュー(90分程度)+記事制作(3000字程度)で22,000円~33,000円(税込)程度、「きく」だけコースは8,000円(税込8,800円)/90分。内容によって別途見積もりいたします)
◆非営利組織職員のためのキャリアコンサルティング
ー個別コンサルティング
ー勉強会の運営
(こちらはまずは小さな勉強会からスタートします)
目指しているのは、「小さな声・小さな物語の依り代に」です。
より多くの方を対象に、より大きな声で、より遠くに届くためのコミュニケーションを求めている方には、あんまりお役に立てないと思います(汗)。
できることなら、たった一人のための記事、たった一人に届けたい想いを届けるお手伝いがしたいと思っています。
・ご自身を振り返り、想いややってきたことをまとめたいという起業家、経営者の方
・自分史の代わりに
・ご家族の生きてきた道のりをきちんと聞いておきたい、残しておきたい
(還暦・古希・喜寿などのタイミングでいかがでしょう?)
などなどの場面でお役に立てたらと思っています。
まだ何もはじまっていないのに、素敵なロゴだけはあります!!!
聞く、聴く、訊く、効く(?)。そして、書く、描く。
小さな小さな取り組みですが、起業支援ネットともども、どうぞよろしくお願いいたします。
お問合せはこちらから
「一人でもやる」と「仲間をつくる」
よく、「起業は一人ではできない」とか「仲間づくりが大事」って言われますよね。その通りだと思います。
でも、「意見は言うけど責任は負いたくない」「誰かがやってくれたら手伝うよ」という人ばかりが集まっていても、コトは始まらない。それは仲間じゃない。(ひと昔前のまちづくりワークショップとかでは、そんなことがよくあったな~(遠い目))
だとしたら、やっぱり最初は「一人でもやる」「誰も理解してくれないし、褒めてもくれないけどやる」という覚悟を持てるかどうかっていうところが大事なんだと思います。
で、本気で理念に向かっていこうとしたら、やっぱり自分一人の力では限界があって、仲間が必要になりますよね。
でも、本気で他者を必要としたときにしか、「仲間」は現れてくれないんです。
同じ人が同じように目の前にいたとしても、その人に対してまっすぐにSOSを出せる自分にならない限り、目の前の人が持っているはずの「仲間性」が立ち現れてこない。
「いつも自分一人で抱え込んでしまって」
「人に頼るのが下手なんです」
「応援してくれる人はたくさんいるんですけど、なかなか本気で関わってくれる人が見つからない」
そんな声もよく聞きます。
でも…。本気で仲間が欲しいと思っていますか?自分が頑張ればなんとかなるって心のどこかで思ってませんか?
活躍している方が「特別なことはなにもしていないんですけど、周りに恵まれて」ってよく言われますよね。わたしは、あれ、半分は嘘だと思います(笑)。
いや、言っている方は本気でそう思っていらっしゃるんだと思うんですが、多分、そう言っている方は、「もし自分一人になってもやる」って決めていて、でも、それじゃ間に合わなかったり、それじゃ届かない先があって、だから、本気で仲間を求めたんだと思います。仲間と一緒にやることを、そういうやり方で事業を育てて理念に近づくということを「選択した」「優先させた」。意識している場合も、無意識の場合もあるけれど、そういうことなんだと思います。
これ、性格とか人柄の問題ではなくて、思考のクセとか習慣の問題のような気がします。(だから、苦手なら練習したらいいと思う!)
仲間問題、なかなか奥が深くて、言葉が尽くせませんが、理念をしっかりつくることは、仲間を必要とできる自分になること、でもあると思います。誰かに必要とされることと、誰かを必要とすることは、同じくらい大事なことなんです、たぶん。
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起業の学校通信クラスのオンライン説明会、あと2回ありますよ!「自分を知る」をテーマにしたミニワークもありますので、よかったら、ぜひ。
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◆起業の学校 通信クラス オンライン説明会◆
日時:7月12日(日)16:00~17:00
7月14日(火)10:00~11:00
※すべて同内容です。
内容:・起業の学校とは
・起業の学校通信クラスのプログラム紹介
・ミニワーク
・質問タイム
定員:各回6名
参加方法:Zoomオンラインシステムを使用します。
Zoom参加URLは、お申し込みいただいた方にご案内します。
申込:こちらの申込フォームよりお申込みください。
docs.google.com
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起業の学校通信クラスの詳細についてはこちらから!
2020.3.29 情報編集 はじめの一歩~エディットツアーinメディアコスモス~
インターネット上で「編集術」を学ぶ、イシス編集学校。
「情報はひとりではいられない」イシス編集学校校長・松岡正剛の言葉です。日々の活動も社会事象も自然現象も文化的事柄も「情報」ととらえ、これらの情報と情報の間の関係に分け入っていくことが「編集」の入口です。「編集力」を身につけると、頭の中の漠然とした「イメージ」を生き生きと「マネージ」でき、仕事・遊び・恋・人間関係などあらゆるものが変わります。イシス編集学校は、だれもがこの「編集の力」を実感し「編集する術」を段階的に修得できる学びのしくみで構成されています。
そんなイシス編集学校のエッセンスをリアルで体験できる「エディットツアー」を、3月に岐阜のメディアコスモスで開催することになりました。あ、別にメディアコスモスさんとの共催企画とかではなくて、ただ、普通に会場を借りただけなんですけど(^^;
でも、「みんなの森 メディアコスモス」、素敵な場所ですよ!
おっと、まずは告知の概要をお知らせせねば。
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情報編集 はじめの一歩 エディットツアー in メディアコスモス
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◆日時 2020年3月29日(日)14:00~16:00
◆場所 みんなの森 ぎふメディアコスモス 1Fあつまるスタジオ
◆内容 情報編集の構造や情報編集の「型」の扱い方の基本を体験します
◆ナビゲーター 久野美奈子(イシス編集学校師範代/NPO法人起業支援ネット代表理事)
◆申込 https://es.isis.ne.jp/media/festa
※こちらのサイトの岐阜会場 からお申込みください。
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例えばですけれど、
伝える→伝わる
伝える→伝わらない
この違いはどこにあるのか?
それを、
・自分の語彙や文章力がないから… とか
・相手がわからずやだから… とかではなくって
「構造」や「型」を使って考えてみるのが情報編集の基礎の基礎。
語彙も文章力もあるに越したことはないけれど、伝える相手のものわかりがいいに越したことはないけれど、「伝える・伝わるって難しい!」と感じるとき、やっぱりそもそもの「伝えたいこと」の構造が自分自身でつかめていないことって本当に多いんです。でも、それを自分で意識するのは、なかなか難しい…。
そして、伝える相手の構造にも想いを馳せることができたら、伝える・伝わるのバリエーションはもっともっと増えるはず。
2時間のワークショップでできることは限られているけれど、それこそ伝えたいことをぎゅぎゅっと詰め込んでいく所存。
ぜひのご参加、お待ちしています!!!
あ、申し込み方法、もう一回載せておこう。(参加しようかなぁと迷っている方の構造に想いを馳せてみた)
ご参加希望の方は
https://es.isis.ne.jp/media/festa
こちらのサイトの岐阜会場 からお申込みください。
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さて。
ここから先は、思い出話になります。(なので気が向いた方だけどうぞ)
わたしが編集学校に入ったのは2000年のこと。ちょうど長女の育休のときに、母から「暇でしょ?」と勧められました。母は、以前、女性起業家向けの講演会の講師として編集学校校長の松岡正剛氏をお招きしたことがあって、おそらくそのご縁で編集学校の開校を知ったのだと思います。(もはやこのあたりの経緯は定かではない…)
今なら「育休は休みではない!」って返すところですがw、確かに社会から切り離されてしまう不安なども感じていて、新しいことをはじめてみるのもいいかなぁっていう軽い気持ちで入門し…、その後あれよあれよという間に編集の沼にはまりました。
めちゃくちゃ面白かったんですよね。今思えば、開校直後、黎明期のドタバタの中にも、運営全般にエネルギーが満ち溢れていたし、指導くださる師範代や一緒に学ぶクラスメートにも恵まれた。まだ電話回線でメールをしていた時代…。「ピッポッパッパッピッポ……ピ~~~ガ~~~」ってネットがつながるあの時代、覚えてます??編集学校が始まったあとの電話代の請求額にびっくりしたのもいい思い出(?)。
で、2002年に何故か師範代をやることに。子育てして、仕事して、指南して…どう暮らしていたのか正直記憶がない(汗)。夜中の2時とか4時とかに指南を返していた記憶だけはある。しんどかった。でも、今の自分のカマエをつくってくれた得難い経験であったことは間違いない。(さすがに体力の限界を感じて、それからいろんな意味で、きちんと自分の軸を持たないまま編集学校に関わり続けてはいけないなと思い、その後しばらく編集学校とのご縁は途切れることになります。)
そんな師範代時代を師範として支えてくださった方の訃報を1週間前に知りました。その方はその後もずっと学校の運営をささえ続けられていました。その方の存在があったから、わたしが今立っているフィールド(起業支援・事業支援)に編集学校での学びを取り入れたいなと思ったときに、10余年の空白期間があっても、しれっと(?)編集学校にコンタクトをとることができました。
ずっとずっと「師範代が生徒さんに指南をする」という、編集学校の中の”現場”を見つめ続け、大切にしてきた人です。人の長所を見つけて取り出すことがとてもお上手な方でした。わたしも何度も彼のその力に助けられ、乗せられてきました。
熱くて、頑固で、寂しがり屋で、ストイックで、意地っ張り。その熱さがめんどくせーと思ったことも正直あります。でも、彼は編集学校に集う人を、決してなにかの塊としてはみていなかった、と思います。一人一人を見ていた。小さなエピソードをびっくりするくらい細かく覚えていて、とても大切に扱う人でした。
今思えば、わたしが今大切にしていることの一部は、間違いなくその方の影響でできている。
彼の名前をgoogleで検索しても、そんなにたくさんの情報は出てきません。裏方に徹した人でした。
だからここに書いておきます。今回の編集ワークショップは、編集学校のためにではなく、来てくださった方のためにやる。編集を必要としている方のためにやる。
そしてそれは、冨澤陽一郎氏に捧ぐ、なのです。
予定調和の外側に
岡山の年上の友人(…友人って呼んでも許してもらえますよね???)が発行している、いわゆるミニコミ誌が、先日、第1000号を迎えたそうです!
ブログ版もあります(雑誌版にしか載っていない記事もある)
→ http://blog.livedoor.jp/botiiko/
「不確かだけれど、生きる喜びと確実に結びついた、パーソナルな営みとしての<学び>を求めて」って痺れますよね。
15年以上前にこの雑誌のことを知ったにも関わらず、いまだにわたしは、これが「どういう雑誌なのか」を説明することができません(汗)。
発行人のTさんと、Tさんに縁のある方々が、ただ書く、結論を決めずに書く、書き始めてからの化学反応を楽しもうとする、というような感じで、テーマも多岐に渡るし、毎回、落としどころが一切ない、というのが見事に徹底されている雑誌です。
これを20年間、毎週発行し続けるということ。誰から頼まれたわけでも、強制されたわけでもなく。それはもう「業(ごう)」としかいいようがない、何かなのだと思います。そして、そういう何かに動かされている方のことを、わたしは本当に素敵だと思うのです。
Tさんとの出会いは、例の(笑)ISIS編集学校で、わたしが師範代を務める教室の生徒のお一人がTさんでした。
…いやもう、大変でした!!!
Tさんをはじめとして、この教室には知識のレベルも、思考のレベルも、社会的なご活躍のレベルも高い方が多く、30そこそこの小娘がまともに太刀打ちできる感じではなかったのです。鋭い質問やつっこみや、ときには「こんな課題には答えたくない」という反応や。雑談で交わされている言葉の意味や、出てくる人の名前がわからない。何が話されているのか、ついていけない。
…いや、よくやり切ったな、自分。あの時、最後までやりきったことだけは自分を褒めたい。
で、そんな編集学校をなんとか終えて(途中めちゃ省略)、校長である松岡正剛氏からプレゼントされた本がこちら。
ロシア語の同時通訳にして、エッセイストとしても活躍された米原万里さん。この本、どれも面白いんですけど、めちゃくちゃ印象に残っているのが、第10章の「遠いほど近くなる」。
最近、旧ソ連が崩壊して形成された新独立諸国の官僚や企業家が市場経済の原理とノウハウを学ぶため、日本政府や国際金融機関などの主催する研修に参加することが多くなった。その通訳に動員されて気づいた面白いことがある。
英語がある程度できて、市場経済の基礎をかじった人々(これは多くの場合若手)と並んで、旧体制の中央集権的な計画経済の中でかなり高位の役職を占め、一方で市場経済的手法については無知に近いという中高年者が参加することがある。もちろん英語はできない。
彼らは飲み込みが悪く、いちいち講師の言葉につっかかり、他の優等生や講師をウンザリさせる。最初の三日間ぐらいは、授業の足を引っ張る劣等生という風に見られて煙たがられている。
ところがしばらくすると、彼らがいることで授業により深みと奥行きが出てきていることに気づき出す。彼らの発する質問は根源的であり、哲学的でさえある。優等生たちは、自分たちの捉え方がいかに上っ面だけを撫ぜたものであるか思い知らされて恥じ入り、講師は講師で今まで自分が疑問にも思わなかった問題を突きつけられて、学問的にも新鮮な刺激を受けるのだ。
あぁ、わたしが経験したのはこういうことだったのかもしれない、と、すとんと来ました。”腑に落ちた”っていう言葉を、体感として経験したのは、思い出す限り初めてだったかもしれない。
この経験が、わたしにもたらしてくれたもの。
必死でもがいてなんだかよくわからないけれど指南を返し続けた日々と、この本の文章が組み合わさって、何か「学びの場」を持つときのわたし自身の基本的なカマエが醸成されたように思っています。
それは、
◆「思ったようにいかないときは、何かが新しく起こっている」ということ。
◆「発見や創造や学びは思ったような範囲でコトが進んでいるときは起こらない」ということ。
◆上ふたつの事柄も、本当かどうかはわからないけれど、一旦そういうことにしておいて物事を見てみるということ。
もちろん、今でも、上手くいかなくて、「はっ、あのカマエを忘れているではないか!!」と思うときもありますが、それでも寄って立つ場所、戻る場所ができた。
…というわけで、Tさんは大恩人なわけです。15年以上経った今も、こうしてご縁をいただけていることも、まったくの想定外の出来事。
Tさん、ありがとうございます!そして、ボチいこ1000号、本当におめでとうございます。いつか、また、ぜひ一献。
あ、最後にもう一つ。
このときに松岡校長からもらった言葉は、いまでも支援者としての自分のどこかに影響を与えています。
編集術を学ぼうと思って編集学校に入ったときは、支援者としての自分の何かが得られるとは全く思っていなかった。 これも、想定外。でも、大事なことって、大体がそんなものじゃないかな、とも思う。
旅立つ娘へ
本日、長女が進学のため家を出ました。
数日前に寂しさが押し寄せてきたものの、2日ほど全力で寂しがっていたら、いつの間にかその寂しさは成仏(?)したようで、今日は朝からむしろわくわくしてきました!(←わたしが旅立つ気分になってしまった(笑))
その隣で、「寂しい。。。ホームシックだわ。。。(←まだ家にいる)」とつぶやいている長女。親子というものはどこまでいってもすれ違う(笑)。
とはいえ、こう見えて(?)元来、非常に心配症で過保護な気質のわたし。
心配事をあげればきりはなく、「寝坊しませんように、鍵や財布やスマホを落としませんように、痛い目や辛い目になるべくあいませんように、交通事故にあいませんように、ブラックバイトにつかまりませんように、セクハラ、アルハラ、モラハラ、パワハラその他各種ハラスメントにあいませんように、泥棒に入られませんように、痴情のもつれで刺されませんように…(以下略)」などと考え始めると止まらない。
でも。「大学は外に出ればいいじゃん」と言ったのは他の誰でもなくわたしだし、上記の各種心配事もたくさん失敗も重ねながらきっと乗り越えていけると思っている。
上手くできなくても、立ち止まって、自分の言葉で考えながら。
自分一人で難しいときは、SOSを出して誰かの力を借りて。
どんなに苦しいときも、まずは温かいものを食べて、たくさん寝て、判断はその後で。
心からの「ありがとう」と「ごめんなさい」が言えたら、大抵のことは何とかなる。
18年でどれだけのことが伝えられたのかはわからない。これからは祈ったり応援したりするしかできないことも増えるだろう。でも、まぁ、そんなものなんだろう、と思う。
ちーちゃん、18年間楽しかったよ。
いってらっしゃい!
NPO法人の2代目代表を10年やってみて思うこと(その2)
その2です。
※その1はこちら
そういえば、何か月か前にどこかから(←大変に曖昧な記憶…、内閣府だったかなぁ)、NPOの事業承継に関するアンケートがありまして。
調査票に記入したのち、控えをとらずに返送してしまったので、詳細が確認できないのが悔やまれるんですが、「後継者にはどのような力が必要だと思いますか」的な質問の回答の選択肢が「マネジメント力」とか「資金調達力」とかそういうビジネススキルとか経営力的なものに偏っていて、大変に違和感を覚えたわけです。わたしは「その他」にぐるぐる二重丸をつけました。
だって、考えてもみてほしい。NPOの創業者のみなさんは、経営力があったから創業したわけではないですよね。なんだかわからないけれど、社会の中で必要だと思うこと、大事だと思うこと、いろんな人と分かち合わなければならないと思ったことがあって、それをどうにかこうにか形にするために、たくさん失敗したり、周りに迷惑をかけたりもしながら「経営力を身に着けてきた」のですよね。
そう思うと、2代目には「失敗を重ねたり、悩んだりしながら、それでもこれでいこうと決断し、経験し、振り返って咀嚼しながら自分の軸にしていくための時間」が圧倒的に不足しているのではないかと思います。だって、目の前にはスタッフがいて、日々の業務がある。組織に対する社会的な期待もある。
でも、本当はその中でも、「自分で決断したことが自分に返ってくる」経験を小さく小さく積み重ねることで、自分の言葉で組織と社会の未来を語ることができるようになったり、自分の判断に自信が持てるようになっていくと思うのです。マネジメント力とか、数字を読む力とか、お金を取ってくるとかは、その次の話(最低でも同時並行で、逆の流れでは絶対にない)でしょ、と。
(ですので、ビジネススキルをお持ちのコンサルの方々がNPOの2代目代表の経営力を鍛えてくださるような事業に予算が流れたりしませんようにと切に願っております…)
で、2代目自身、引き裂かれるんですよね。今までと同じように組織を運営しなければならないという気持ちと、創業者の真似ではない自分なりのやり方を生み出していかなければならないという気持ちに。
わたし自身、2代目になることを迷っていたときも、実際に代表交代した後も、ほとんどすべての周りの方が「関戸さんの真似をするんじゃなくて久野さんなりのやり方でやればいいんだよ」って言ってくださっていました。これは「自分なりのやり方」が全然わからなかったときには、それはそれでプレッシャーでもありましたが、とてもとてもありがたい言葉でした。
でも、誰よりもわたし自身が「創業者が創り上げてきた組織をわたしの代でダメになったと言われたくない」と勝手に重荷を背負いこんでいたし、実際社会的なふるまいとしては、創業者と同じようなことを期待されて、うまくできず、相手をがっかりさせてしまったこともありました(例えばいろんな委員とかもちょっと引き継いだりしたんですが、ぜんっぜん上手くできんかった…)。
そんな2代目を見ていると、創業者の方もあれこれ助けたり、口を出したりしたくなるのではないかと思います。自分だったらこうするのに、と歯がゆさを感じたり、事業継承をするという判断が正しかったのかと後悔したりすることもあるかもしれません。
でも!
一旦組織の代表を次の方に譲ったのだったら、創業者の方には、もういろいろ諦めて(笑)いただきたいのです。
逆に言えば、この人に託して組織がどうにかなってしまうならば、それはそれで構わない、それで組織を畳むことになるなら本望だ、と思える人が出てくるまでは、事業継承しないでほしいとさえ思います。それは、そもそもなぜ事業承継をするのか、という問いにもつながります。
「せっかく積み重ねてきたものを次につないでいきたい」というのは、自然な気持ちだと思います。いろんなノウハウやネットワーク、ここで途絶えたらもったいないよね、という話もよく聞きます。
でもなぁ。ノウハウもネットワークも、実は意外と引き継げないんですよね(身も蓋もない発言)(あ、それに比べると事業モデルは継承されやすいと思います)。
例えば、ネットワーク。起業支援ネットも、代表交代した後に、会員さんが激減しました(泣)。なんかもう、退会のお知らせが届くたびに、凹みました。でも、今思うとそれはそれでよかった。そういうことがあったから、次の新しいつながりを自ら生み出していかなければならないと思ったし、そうやって自分なりに再構築していったネットワークの方が、やっぱりいざというときに頼りになるのです。
あ、そういう意味では、創業者の方は2代目に引き継ぐときに、理事会や評議員会の整理整頓はお忘れなく。あまりにも立派で重いネットワークは、新しいことを始めるときの足枷にもなり得るのです。できれば、創業者の方には、しばらくの間「善意の外野」から2代目を守る役割を果たしていただけたらと思ったりします。
ノウハウも…、どうかなぁ。例えば「起業の学校」の核になるプログラムなどは引き継いでいるけれど、これはもともと創業者のノウハウではなかったもの。
創業者のノウハウと言えば、「なんだかよくわからないけれど相談者さんが元気になって帰っていく」とか「講演会で多くの人を励まし勇気づける」とか「みんなが妄想ということがなぜか映像としてみえてしまう」とか。…引き継げるか、こんなもん!!(笑)
そう思うと、わたしは創業者が「やってきたこと」の多くを受け取らず、ある意味10年前に「置いてきた」。でも、そのことで創業者に責められたことは一度もありません(時々、”あー、それ、やるんだー、わたしだったら絶対やらんわー”とか”あー、これはやらないんだー、もったいなーい”とかぽそっと呟かれたことはありますが、意思決定への介入は一度もなかった。呟きは思い切って無視しておりましたw)。それは本当にありがたかったし、そうした創業者の態度が2代目としての自覚と自由をセットで連れてきてくれたようにも思います。
ただ、いろんなことを「置いてきた」以上は、新しいことを生み出さなければならない。その点では、副代表の力がとても大きく、起業支援ネットの事業の在り方も、講座や講演、公金を原資とした起業支援事業から、現場のNPOにコミットしながら事業を共同運営するような形にシフトしていきました。これは、わたしや次世代メンバーの個性やキャラクター、そして「頑張っても辛くないこと」を重視した選択でした。
(※このあたりは3月初旬に発行される会報誌に詳しいです。お楽しみに!!)
いろいろなところで「後継者が育たない」という声を聞きます。そりゃ、それまでやってきたことを、それまでやってきたように継いでくれる人は、いないよなぁと思います。それまでやってきたことを、それまでやってきたように続けていくなら、それまでやってきた人が最後まで、倒れるまで、頑張るのが一番です。それを求めるなら、もう創業者がどこまでも頑張るしかない、と思います。
「それまでやってきたことを、それまでやってきたように続けたい」っていうのは、本当は創業者の「欲」に他ならないのではないでしょうか。別に「欲」があるのは人間として自然だし、全然悪いことではないけれど、その「欲」を社会的な正しさの文脈で語るのは間違っている。大事なことなので、もう一度言います。個人としての「欲」を「社会的な正しさ」のふりをして人に押し付けるのは間違っている。欲なら欲って言ってくれればいいんです。そしたら受け取る側が判断するから。
「この組織がなくなったら困る人たちがたくさんいるのに、引き継がないとは何事か」というような言葉は、マジで止めていただきたいし、それを言われた側は「そんなこと知らねーよ」って言っていいと思います。(でも言えないからみんな苦しむ…)
わたしは創業者が「やってきたこと」は引き継がなかった。でも、「願ってきたこと」は引き継いだ、と勝手に思っています。それは、ノウハウとかネットワークとか、ひとつひとつの事業とかではないんです。魂とか哲学みたいなもの。起業支援ネット的な言い方をすれば「理念」。誰かと向き合うときの基本的なまなざしや姿勢。
すでに草葉の陰にいる創業者には確認のしようがありませんが、創業者が一番引き継ぎたかったのはそういうことで、「あとは好きにして」だったと思うのです。
そして、それはわたし一人が引き継いだのではなくて、副代表をはじめとする理事会のメンバー、スタッフ、起業の学校の卒業生や協力してくださっているみなさん、そんなたくさんの方々が、ちょっとずつその魂を引き取ってくださっているというか、預かってくださっているというか。本当にありがたいことだと思います。
まぁいろいろまとまりませんが、2代目が育つために必要なことは、
・2代目がちゃんと失敗したり寄り道したりできる時間と環境
・2代目の個性、強み、能力などに合わせて、新たな事業を切り開いていく力
ではないか、というのが、現時点でのわたしの仮説です。
あ!起業の学校では、2代目の方や新たにリーダーになる方が、自分の理念やコンセプトを見つけていただくのにもご活用いただけますよ!!(←ステマ??)
まだまだ書けていないこともありそうな気がしますが、一旦おしまいにします。こんな話もまたいろいろと率直に議論できるようになっていくといいなぁと思います。
おつきあいいただき、ありがとうございました!
NPO法人の2代目代表を10年やってみて思うこと(その1)
起業支援ネットの代表になって、この2月で10年になります。起業支援ネットは法人化して20周年。
(そう、わたしは創業者ではないのです。だからこそ、いつも自分で0から1を起こそうとする人は本当に素敵だしすごいと思っています。)
あんまり周年行事に興味はなく、10年だってなんだって、通り過ぎていく点でしかない、と思う一方で、少しだけ過去を振り返っておきたい、という気持ちもあります。
理由のひとつは、だんだん過去のことがリアルな感じで思い出せなくなっている自分に気づいたこと(汗)。
そしてもうひとつは、NPOの事業承継や次世代育成について、改めて耳にする機会が増えたような気がすること。
あくまでも個人の体験記的なものなので、普遍性はないかもしれませんが、こんな例もあるよ、というのを書き留めておこうと思います。
さて。
わたしは、代表を引き継ぐのが「本当に本当に嫌!!!」でした。10年前に引き継ぐ前後の具体的なエピソードは、今やもうほとんど忘れてしまったけれど、あの「絶対にやりたくない、わたしには無理!!」と思った感覚は、今でも割と鮮明に覚えています。
なぜ嫌だったのか。その時のわたしに言わせれば、「わたしには代表は向いてない」。
…いやもう、今だったら、「向き不向きをそんなに簡単に決めるなー!!」って自分で自分にツッコミを入れるところですが、当時は本当にそう思っていました。それ以外には思えなかった。
なぜ向いていないと思ったかを、今の自分なりに言葉にしてみると
・組織のリーダーとして(前代表のように)みんなを引っ張っていく自信がない。組織としての理念を背負う覚悟が持てない(もちたくない)。
・わたし自身に、「こうしたい」という強い理念がない。
・何かあったときの責任のとり方がわからない。とれない(とりたくない)。
・当時のポジションが、それなりに悩みはありながらも心地よく、そこから離れたくない。
…みたいなことだったんじゃないかと思います。あぁ、今思うとダサい、ダサすぎる。でも本音。
あと、前代表や前副代表からきちんと「次期代表をやってほしい」と言われていないのも嫌だった(←執念深いw)。なんとなく「え、だって次は久野さんでしょ、やらないとか起業支援ネットが潰れてもいいってこと?」的な(そんな言われ方は実際にはされていないけど、その時の雰囲気を久野の脳内で変換するとそうなる)みたいなのが嫌で、ちゃんと「あなたにはこういう能力があり、絶対にできると思うから、ぜひ次を託したい」って言われたかった~!!
あ、でもこれは今思うとどっちがよかったのかわからない。もしそういう言い方で口説かれていたら、しばらくの間はその言葉が拠り所になったかもしれない。でも、呪いになったかもしれない。いつまでも「こうやって言われた”から”引き受けた」と思ってしまって、「自分で決めた」という感覚が持てないままだったかもしれない。
更に加えて、前代表の退任理由が「新しいことをやりたいから」っていうのも嫌だった(もう、嫌々だらけだな、2歳児か(笑))。わたしはこんなに「新しいこと」に向かうのが嫌なのに、なんであなたはそんなに軽々と「新しいこと」に向かっていけるのか。わたしの気も知らないで、なんでそんなにイキイキと次の準備をしちゃってるの!?えぇ加減にせい!みたいな。
なので、かなり長い間(2年間くらい?)ゴネていました。ある瞬間は「やってもいいかも、できるかも」と思い、次の瞬間には「やっぱ無理」と思うような、揺れる時期が続いていたし、いろんな人に八つ当たりもしたし、「どっかの偉い人を連れてきて代表になってもらって、わたしは事務局長のままっていうのはどうだろうか」(←偉い人の心当たりはない)と真剣に思ったり。
それでもいろんな方に愚痴をこぼし、相談にのっていただき、最終的には「やる」と決めたわけです。最後の最後の決め手は、ある人から「別に久野さんに理念がなくても法人にあるからいいんじゃないですかね」と言われたことと、「もし今の自分みたいな人が相談に来たら”どうしても嫌だったらやめればいいから、せっかくのチャンス、挑戦してみたら?”って言うだろうな~」とぼんやり思ってしまったこと。
代表になることが決まった総会のあとの懇親会では、こんなサプライズもらいました。多分わたしが本当に不安そうだったのを見るに見かねたスタッフが、いろんな方から集めてくれました。
今となっては、代表になってみてよかったと思っています。というか、それ以外の人生はあり得なかったわけだから、よかったと思うしかない、思えるようにしていくしかない。
実際、代表になってみて「自分が変化したな~」と思う部分もたくさんあります。
変化した一番大きなところは、「自己主張がはっきりするようになった」ことでしょうか。これはまぁ周りの人からしたら、迷惑な部分もあるかもしれないけれど…。
それまでは、自分は「決められない人間」だと思っていました。例えば対立する意見があったときに、「どっちの意見もわかる…」と思ってしまうような。でも、今思えば、それは「決める練習をしていなかった」ということ。だって今まで「決める能力」は必要なかったわけだから。で、ちゃんと練習したら決められました。わたしにもありました、わたしの意見が!!(と気づいたときの驚きときたら)
あとは、これはちょっといい話風でアレなんだけれど、やっぱり人に感謝することは増えた。それまでは、やっぱりどこか承認や評価を求める気持ちが強くて(基本的に承認欲求が強いのは今でも変わらないけれど)、「こんなにやっているのに」とか「なんか上に振り回されてる…」と感じることが多かったのだけれど、今はそれは基本的にはない。何をやっても、すべて自分が最終的には判断したことで、全部自分に返ってくる。だから、上手くいかなかったことは全部自分のせいだし、上手くいったら自分で自分を褒めればいい。そんな風にだんだんなっていったら、これがものすごく「楽」なことに気づきました。だって、人は変えられないし、思ったように動いてくれない。もちろん、自分も簡単には変えられないし思うように動けるわけでもないけれど、でも、「最後は自分だ」って思えることがこんなに楽なことだっていうことは、本当に予想外でした。
というわけで、わたしが10年代表をやってみて気づいたことは、その時点で”わたしはこんな人間だ”と思っていることは結構アテにならないっていうこと。これは周りからみた評価も同じ。
その場面に実際に立ってみないと出てこない自分の能力、どんな風に動くかわからない自分の気持ち。人間は、常にそういうものを抱えているのではないかと思います。
だから、もしこれから組織や事業を引き継ぐ立場にある人は、それはそれは辛いだろうし、嫌かもしれないし、苦しいかもしれない。けれど、やってみないとわからない世界がある、ということだけは確かで、その場に自分の身を置いてみるというのは、自分だけではできない体験だと思うのです。だから、自分を信じるというよりは、自分を信じてくれた周りを(先代を含む)信じられるのならば、ぜひチャレンジしてみてほしいと思います。
「人生で本当に大事なことは大抵自分だけでは決められない」とわたしは思っています。流れの中で。偶然が重なって。突発的に。本当に大事なことは、そんな風に決まっていくのだなぁとも思います。
そして、やってみた上で、本当の本当に辛かったら、いつでも止めていいと思います。それは、周りからどんなに無責任だと言われても、身勝手だと言われても、自分の心と体を最終的に守れるのは自分しかいないと思うからです。
わたしは幸い、10年健康を害することもなく(←もともと頑丈…)続けることができましたが、これはわたしの力ではなくて、本当に周りの人たちが、わたしのいない場所でどれだけ心を砕き、心配をして、見守ってくださったのか、ということに尽きると思っています。本当にありがとうございます。
本当はこの後、次世代に代表を譲りたいと思っている創業者のみなさんに言いたいこと(←おばさんの主張)を書こうと思ったんですが、長くなりそうなので、一旦区切ります。
(たぶん)続く…
(もし、タイトルからしれっと「その1」が消えていたら、あ、久野は書くのを諦めたんだなと察してください。。。)
2019.2.21追記:「その2」書きました!