書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

NPO法人の2代目代表を10年やってみて思うこと(その1)

起業支援ネットの代表になって、この2月で10年になります。起業支援ネットは法人化して20周年。

(そう、わたしは創業者ではないのです。だからこそ、いつも自分で0から1を起こそうとする人は本当に素敵だしすごいと思っています。)

あんまり周年行事に興味はなく、10年だってなんだって、通り過ぎていく点でしかない、と思う一方で、少しだけ過去を振り返っておきたい、という気持ちもあります。

理由のひとつは、だんだん過去のことがリアルな感じで思い出せなくなっている自分に気づいたこと(汗)。

そしてもうひとつは、NPOの事業承継や次世代育成について、改めて耳にする機会が増えたような気がすること。

あくまでも個人の体験記的なものなので、普遍性はないかもしれませんが、こんな例もあるよ、というのを書き留めておこうと思います。

 

さて。

わたしは、代表を引き継ぐのが「本当に本当に嫌!!!」でした。10年前に引き継ぐ前後の具体的なエピソードは、今やもうほとんど忘れてしまったけれど、あの「絶対にやりたくない、わたしには無理!!」と思った感覚は、今でも割と鮮明に覚えています。

 

なぜ嫌だったのか。その時のわたしに言わせれば、「わたしには代表は向いてない」。

…いやもう、今だったら、「向き不向きをそんなに簡単に決めるなー!!」って自分で自分にツッコミを入れるところですが、当時は本当にそう思っていました。それ以外には思えなかった。

なぜ向いていないと思ったかを、今の自分なりに言葉にしてみると

・組織のリーダーとして(前代表のように)みんなを引っ張っていく自信がない。組織としての理念を背負う覚悟が持てない(もちたくない)。

・わたし自身に、「こうしたい」という強い理念がない。

・何かあったときの責任のとり方がわからない。とれない(とりたくない)。

・当時のポジションが、それなりに悩みはありながらも心地よく、そこから離れたくない。

…みたいなことだったんじゃないかと思います。あぁ、今思うとダサい、ダサすぎる。でも本音。

 

あと、前代表や前副代表からきちんと「次期代表をやってほしい」と言われていないのも嫌だった(←執念深いw)。なんとなく「え、だって次は久野さんでしょ、やらないとか起業支援ネットが潰れてもいいってこと?」的な(そんな言われ方は実際にはされていないけど、その時の雰囲気を久野の脳内で変換するとそうなる)みたいなのが嫌で、ちゃんと「あなたにはこういう能力があり、絶対にできると思うから、ぜひ次を託したい」って言われたかった~!!

あ、でもこれは今思うとどっちがよかったのかわからない。もしそういう言い方で口説かれていたら、しばらくの間はその言葉が拠り所になったかもしれない。でも、呪いになったかもしれない。いつまでも「こうやって言われた”から”引き受けた」と思ってしまって、「自分で決めた」という感覚が持てないままだったかもしれない。

 

更に加えて、前代表の退任理由が「新しいことをやりたいから」っていうのも嫌だった(もう、嫌々だらけだな、2歳児か(笑))。わたしはこんなに「新しいこと」に向かうのが嫌なのに、なんであなたはそんなに軽々と「新しいこと」に向かっていけるのか。わたしの気も知らないで、なんでそんなにイキイキと次の準備をしちゃってるの!?えぇ加減にせい!みたいな。

 

なので、かなり長い間(2年間くらい?)ゴネていました。ある瞬間は「やってもいいかも、できるかも」と思い、次の瞬間には「やっぱ無理」と思うような、揺れる時期が続いていたし、いろんな人に八つ当たりもしたし、「どっかの偉い人を連れてきて代表になってもらって、わたしは事務局長のままっていうのはどうだろうか」(←偉い人の心当たりはない)と真剣に思ったり。

 

それでもいろんな方に愚痴をこぼし、相談にのっていただき、最終的には「やる」と決めたわけです。最後の最後の決め手は、ある人から「別に久野さんに理念がなくても法人にあるからいいんじゃないですかね」と言われたことと、「もし今の自分みたいな人が相談に来たら”どうしても嫌だったらやめればいいから、せっかくのチャンス、挑戦してみたら?”って言うだろうな~」とぼんやり思ってしまったこと。

 

代表になることが決まった総会のあとの懇親会では、こんなサプライズもらいました。多分わたしが本当に不安そうだったのを見るに見かねたスタッフが、いろんな方から集めてくれました。

 

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今でも大事にとってあります!

 

今となっては、代表になってみてよかったと思っています。というか、それ以外の人生はあり得なかったわけだから、よかったと思うしかない、思えるようにしていくしかない。

実際、代表になってみて「自分が変化したな~」と思う部分もたくさんあります。

 変化した一番大きなところは、「自己主張がはっきりするようになった」ことでしょうか。これはまぁ周りの人からしたら、迷惑な部分もあるかもしれないけれど…。

それまでは、自分は「決められない人間」だと思っていました。例えば対立する意見があったときに、「どっちの意見もわかる…」と思ってしまうような。でも、今思えば、それは「決める練習をしていなかった」ということ。だって今まで「決める能力」は必要なかったわけだから。で、ちゃんと練習したら決められました。わたしにもありました、わたしの意見が!!(と気づいたときの驚きときたら)

 

あとは、これはちょっといい話風でアレなんだけれど、やっぱり人に感謝することは増えた。それまでは、やっぱりどこか承認や評価を求める気持ちが強くて(基本的に承認欲求が強いのは今でも変わらないけれど)、「こんなにやっているのに」とか「なんか上に振り回されてる…」と感じることが多かったのだけれど、今はそれは基本的にはない。何をやっても、すべて自分が最終的には判断したことで、全部自分に返ってくる。だから、上手くいかなかったことは全部自分のせいだし、上手くいったら自分で自分を褒めればいい。そんな風にだんだんなっていったら、これがものすごく「楽」なことに気づきました。だって、人は変えられないし、思ったように動いてくれない。もちろん、自分も簡単には変えられないし思うように動けるわけでもないけれど、でも、「最後は自分だ」って思えることがこんなに楽なことだっていうことは、本当に予想外でした。

 

というわけで、わたしが10年代表をやってみて気づいたことは、その時点で”わたしはこんな人間だ”と思っていることは結構アテにならないっていうこと。これは周りからみた評価も同じ。

その場面に実際に立ってみないと出てこない自分の能力、どんな風に動くかわからない自分の気持ち。人間は、常にそういうものを抱えているのではないかと思います。

 

だから、もしこれから組織や事業を引き継ぐ立場にある人は、それはそれは辛いだろうし、嫌かもしれないし、苦しいかもしれない。けれど、やってみないとわからない世界がある、ということだけは確かで、その場に自分の身を置いてみるというのは、自分だけではできない体験だと思うのです。だから、自分を信じるというよりは、自分を信じてくれた周りを(先代を含む)信じられるのならば、ぜひチャレンジしてみてほしいと思います。

「人生で本当に大事なことは大抵自分だけでは決められない」とわたしは思っています。流れの中で。偶然が重なって。突発的に。本当に大事なことは、そんな風に決まっていくのだなぁとも思います。

 

そして、やってみた上で、本当の本当に辛かったら、いつでも止めていいと思います。それは、周りからどんなに無責任だと言われても、身勝手だと言われても、自分の心と体を最終的に守れるのは自分しかいないと思うからです。

わたしは幸い、10年健康を害することもなく(←もともと頑丈…)続けることができましたが、これはわたしの力ではなくて、本当に周りの人たちが、わたしのいない場所でどれだけ心を砕き、心配をして、見守ってくださったのか、ということに尽きると思っています。本当にありがとうございます。

 

本当はこの後、次世代に代表を譲りたいと思っている創業者のみなさんに言いたいこと(←おばさんの主張)を書こうと思ったんですが、長くなりそうなので、一旦区切ります。

 

(たぶん)続く…

(もし、タイトルからしれっと「その1」が消えていたら、あ、久野は書くのを諦めたんだなと察してください。。。)

 

2019.2.21追記:「その2」書きました!

huurinntei.hatenablog.com