書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

人と組織の関係についてここんところ考えていること(その2)

先日投稿した↓の記事の続きを考えてみたいと思います。

huurinntei.hatenablog.com

 

とはいえ、結論もオチもあるわけではなく。一緒にモヤモヤしていただければ幸いです。

 

 前回は、組織の理念に自らを投じる覚悟や物理的な時間・エネルギーに、創業者や代表などのリーダーとそれを支えるメンバー(雇用されるスタッフの場合も、非常勤の理事だったり、ボランティアだったりする場合も)の間には、「ズレ」があって当たり前、というようなことを書きました。ここを、口当たりのいい言葉でごまかなさない方がいいと。まぁ、書いてみれば、目新しくもなんともないことでした(汗)。

 

わたしの知る限り、やっぱりリーダーって組織のなかで誰よりもその社会課題のことを考えているし、誰よりも「求められていること」と「できること」とのギャップに焦燥感を感じているし、誰よりも働いているケースが圧倒的に多いです(あ、起業支援ネットは違うかもです。今でも、一番早く事務所を出るのはわたしです。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)。

 

それはそれで、その人の「命の使い方」なのであれば、他者がとやかく言うことではないし、とやかく言ったところで大抵聞いてはくれません(^^;。

ただ、そういう働き方を見ている周囲が「それって違うんじゃない?」「おかしいんじゃない?」と言い辛くなってしまうことはよくあることで。「そこまでやっている人がそう言うならそうなのかな」っていう思考停止がはじまってしまうことや、

一方で、リーダーはリーダーで動けば動くほど情報が集まってきて、ネットワークも広がるのが常で、ほかのメンバーと”見えている景色”が違ってしまい、情報の流れが代表→ほかのメンバーの一方方向になり、「どうして一緒に考えてくれないんだろう。発言してくれないんだろう。」と孤独感に苛まれてしまうことや、

その孤独が高じてなのかなんなのか、リーダーが人の声に耳を貸すことが難しくなってしまうことについては、

もうちょっと何とかならないものかな、と思っています。

 

やっぱり繰り返しになりますが、もしそういう状況になっていたり、なりそうだったりしたときに、まずは現状をきちんと見つめることから始めるしかないのではないかなと思います。どんなに自分(たち)が望んでいた組織の姿とは違ってしまっていたとしても、現に「そうなっている」ということを認める力。

 

うーん、そう思うと、周りに「その人が言ったことなら、たとえ自分と考えや意見が全く違っていても、”もしかしたら自分の方が間違っているのかもしれない”と思える人」がいるというのは、ものすごく大事なことなのかもしれません。

そして、いろいろやばいかもしれないとうすうす感じたときや、本当に困る一歩手前のところで、そういう人にSOSを出すということも。

自分を励ましてくれる人や、応援してくれる人も大事ですが、「自らも痛みを感じつつ(=安全な場所から持論を述べるだけではなく)ダメ出しをしてくれる人」(それはスタッフでも理事でも外部の支援者とかでもいいと思いますが)をどれだけ大切に、たとえ厄介でも大切にできるかってことではないかなぁ。

 

非営利組織って、社会的に厳しい評価をされることもありますが、一方で小さな世界の中では「持ち上げられる」ことも多いので、なんというか、自分たちの客観的なポジションを俯瞰することがとても難しいように思います。その中で、できるだけ自分たちを相対化するためのエネルギーは、課題解決や理念に向かうエネルギーの10%くらいでもいいからとっておいたらいいのではないかなと思います。

 

…前回の終わりに書いたようなマネジメントの多様化の話にはなりませんでした。タイトル通り「書き留めたいことを書き留めたいように」書いておりますので、ご容赦を。

 

続くかもしれませんが、一回区切ります。