書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

NPO法人の2代目代表を10年やってみて思うこと(その2)

その2です。

※その1はこちら

huurinntei.hatenablog.com

そういえば、何か月か前にどこかから(←大変に曖昧な記憶…、内閣府だったかなぁ)、NPOの事業承継に関するアンケートがありまして。

調査票に記入したのち、控えをとらずに返送してしまったので、詳細が確認できないのが悔やまれるんですが、「後継者にはどのような力が必要だと思いますか」的な質問の回答の選択肢が「マネジメント力」とか「資金調達力」とかそういうビジネススキルとか経営力的なものに偏っていて、大変に違和感を覚えたわけです。わたしは「その他」にぐるぐる二重丸をつけました。

 

だって、考えてもみてほしい。NPOの創業者のみなさんは、経営力があったから創業したわけではないですよね。なんだかわからないけれど、社会の中で必要だと思うこと、大事だと思うこと、いろんな人と分かち合わなければならないと思ったことがあって、それをどうにかこうにか形にするために、たくさん失敗したり、周りに迷惑をかけたりもしながら「経営力を身に着けてきた」のですよね。

 

そう思うと、2代目には「失敗を重ねたり、悩んだりしながら、それでもこれでいこうと決断し、経験し、振り返って咀嚼しながら自分の軸にしていくための時間」が圧倒的に不足しているのではないかと思います。だって、目の前にはスタッフがいて、日々の業務がある。組織に対する社会的な期待もある。

でも、本当はその中でも、「自分で決断したことが自分に返ってくる」経験を小さく小さく積み重ねることで、自分の言葉で組織と社会の未来を語ることができるようになったり、自分の判断に自信が持てるようになっていくと思うのです。マネジメント力とか、数字を読む力とか、お金を取ってくるとかは、その次の話(最低でも同時並行で、逆の流れでは絶対にない)でしょ、と。

(ですので、ビジネススキルをお持ちのコンサルの方々がNPOの2代目代表の経営力を鍛えてくださるような事業に予算が流れたりしませんようにと切に願っております…)

 

で、2代目自身、引き裂かれるんですよね。今までと同じように組織を運営しなければならないという気持ちと、創業者の真似ではない自分なりのやり方を生み出していかなければならないという気持ちに。

わたし自身、2代目になることを迷っていたときも、実際に代表交代した後も、ほとんどすべての周りの方が「関戸さんの真似をするんじゃなくて久野さんなりのやり方でやればいいんだよ」って言ってくださっていました。これは「自分なりのやり方」が全然わからなかったときには、それはそれでプレッシャーでもありましたが、とてもとてもありがたい言葉でした。

でも、誰よりもわたし自身が「創業者が創り上げてきた組織をわたしの代でダメになったと言われたくない」と勝手に重荷を背負いこんでいたし、実際社会的なふるまいとしては、創業者と同じようなことを期待されて、うまくできず、相手をがっかりさせてしまったこともありました(例えばいろんな委員とかもちょっと引き継いだりしたんですが、ぜんっぜん上手くできんかった…)。

 

そんな2代目を見ていると、創業者の方もあれこれ助けたり、口を出したりしたくなるのではないかと思います。自分だったらこうするのに、と歯がゆさを感じたり、事業継承をするという判断が正しかったのかと後悔したりすることもあるかもしれません。

 

でも!

一旦組織の代表を次の方に譲ったのだったら、創業者の方には、もういろいろ諦めて(笑)いただきたいのです。

逆に言えば、この人に託して組織がどうにかなってしまうならば、それはそれで構わない、それで組織を畳むことになるなら本望だ、と思える人が出てくるまでは、事業継承しないでほしいとさえ思います。それは、そもそもなぜ事業承継をするのか、という問いにもつながります。

 

「せっかく積み重ねてきたものを次につないでいきたい」というのは、自然な気持ちだと思います。いろんなノウハウやネットワーク、ここで途絶えたらもったいないよね、という話もよく聞きます。

でもなぁ。ノウハウもネットワークも、実は意外と引き継げないんですよね(身も蓋もない発言)(あ、それに比べると事業モデルは継承されやすいと思います)。

 

例えば、ネットワーク。起業支援ネットも、代表交代した後に、会員さんが激減しました(泣)。なんかもう、退会のお知らせが届くたびに、凹みました。でも、今思うとそれはそれでよかった。そういうことがあったから、次の新しいつながりを自ら生み出していかなければならないと思ったし、そうやって自分なりに再構築していったネットワークの方が、やっぱりいざというときに頼りになるのです。

あ、そういう意味では、創業者の方は2代目に引き継ぐときに、理事会や評議員会の整理整頓はお忘れなく。あまりにも立派で重いネットワークは、新しいことを始めるときの足枷にもなり得るのです。できれば、創業者の方には、しばらくの間「善意の外野」から2代目を守る役割を果たしていただけたらと思ったりします。

 

ノウハウも…、どうかなぁ。例えば「起業の学校」の核になるプログラムなどは引き継いでいるけれど、これはもともと創業者のノウハウではなかったもの。

創業者のノウハウと言えば、「なんだかよくわからないけれど相談者さんが元気になって帰っていく」とか「講演会で多くの人を励まし勇気づける」とか「みんなが妄想ということがなぜか映像としてみえてしまう」とか。…引き継げるか、こんなもん!!(笑)

 

そう思うと、わたしは創業者が「やってきたこと」の多くを受け取らず、ある意味10年前に「置いてきた」。でも、そのことで創業者に責められたことは一度もありません(時々、”あー、それ、やるんだー、わたしだったら絶対やらんわー”とか”あー、これはやらないんだー、もったいなーい”とかぽそっと呟かれたことはありますが、意思決定への介入は一度もなかった。呟きは思い切って無視しておりましたw)。それは本当にありがたかったし、そうした創業者の態度が2代目としての自覚と自由をセットで連れてきてくれたようにも思います。

 

ただ、いろんなことを「置いてきた」以上は、新しいことを生み出さなければならない。その点では、副代表の力がとても大きく、起業支援ネットの事業の在り方も、講座や講演、公金を原資とした起業支援事業から、現場のNPOにコミットしながら事業を共同運営するような形にシフトしていきました。これは、わたしや次世代メンバーの個性やキャラクター、そして「頑張っても辛くないこと」を重視した選択でした。

(※このあたりは3月初旬に発行される会報誌に詳しいです。お楽しみに!!)

 

いろいろなところで「後継者が育たない」という声を聞きます。そりゃ、それまでやってきたことを、それまでやってきたように継いでくれる人は、いないよなぁと思います。それまでやってきたことを、それまでやってきたように続けていくなら、それまでやってきた人が最後まで、倒れるまで、頑張るのが一番です。それを求めるなら、もう創業者がどこまでも頑張るしかない、と思います。

「それまでやってきたことを、それまでやってきたように続けたい」っていうのは、本当は創業者の「欲」に他ならないのではないでしょうか。別に「欲」があるのは人間として自然だし、全然悪いことではないけれど、その「欲」を社会的な正しさの文脈で語るのは間違っている。大事なことなので、もう一度言います。個人としての「欲」を「社会的な正しさ」のふりをして人に押し付けるのは間違っている。欲なら欲って言ってくれればいいんです。そしたら受け取る側が判断するから。

「この組織がなくなったら困る人たちがたくさんいるのに、引き継がないとは何事か」というような言葉は、マジで止めていただきたいし、それを言われた側は「そんなこと知らねーよ」って言っていいと思います。(でも言えないからみんな苦しむ…)

 

わたしは創業者が「やってきたこと」は引き継がなかった。でも、「願ってきたこと」は引き継いだ、と勝手に思っています。それは、ノウハウとかネットワークとか、ひとつひとつの事業とかではないんです。魂とか哲学みたいなもの。起業支援ネット的な言い方をすれば「理念」。誰かと向き合うときの基本的なまなざしや姿勢。

すでに草葉の陰にいる創業者には確認のしようがありませんが、創業者が一番引き継ぎたかったのはそういうことで、「あとは好きにして」だったと思うのです。

 そして、それはわたし一人が引き継いだのではなくて、副代表をはじめとする理事会のメンバー、スタッフ、起業の学校の卒業生や協力してくださっているみなさん、そんなたくさんの方々が、ちょっとずつその魂を引き取ってくださっているというか、預かってくださっているというか。本当にありがたいことだと思います。

 

まぁいろいろまとまりませんが、2代目が育つために必要なことは、

・2代目がちゃんと失敗したり寄り道したりできる時間と環境

・2代目の個性、強み、能力などに合わせて、新たな事業を切り開いていく力

ではないか、というのが、現時点でのわたしの仮説です。

 

あ!起業の学校では、2代目の方や新たにリーダーになる方が、自分の理念やコンセプトを見つけていただくのにもご活用いただけますよ!!(←ステマ??)

npo-kigyo.net

 

まだまだ書けていないこともありそうな気がしますが、一旦おしまいにします。こんな話もまたいろいろと率直に議論できるようになっていくといいなぁと思います。

おつきあいいただき、ありがとうございました!

NPO法人の2代目代表を10年やってみて思うこと(その1)

起業支援ネットの代表になって、この2月で10年になります。起業支援ネットは法人化して20周年。

(そう、わたしは創業者ではないのです。だからこそ、いつも自分で0から1を起こそうとする人は本当に素敵だしすごいと思っています。)

あんまり周年行事に興味はなく、10年だってなんだって、通り過ぎていく点でしかない、と思う一方で、少しだけ過去を振り返っておきたい、という気持ちもあります。

理由のひとつは、だんだん過去のことがリアルな感じで思い出せなくなっている自分に気づいたこと(汗)。

そしてもうひとつは、NPOの事業承継や次世代育成について、改めて耳にする機会が増えたような気がすること。

あくまでも個人の体験記的なものなので、普遍性はないかもしれませんが、こんな例もあるよ、というのを書き留めておこうと思います。

 

さて。

わたしは、代表を引き継ぐのが「本当に本当に嫌!!!」でした。10年前に引き継ぐ前後の具体的なエピソードは、今やもうほとんど忘れてしまったけれど、あの「絶対にやりたくない、わたしには無理!!」と思った感覚は、今でも割と鮮明に覚えています。

 

なぜ嫌だったのか。その時のわたしに言わせれば、「わたしには代表は向いてない」。

…いやもう、今だったら、「向き不向きをそんなに簡単に決めるなー!!」って自分で自分にツッコミを入れるところですが、当時は本当にそう思っていました。それ以外には思えなかった。

なぜ向いていないと思ったかを、今の自分なりに言葉にしてみると

・組織のリーダーとして(前代表のように)みんなを引っ張っていく自信がない。組織としての理念を背負う覚悟が持てない(もちたくない)。

・わたし自身に、「こうしたい」という強い理念がない。

・何かあったときの責任のとり方がわからない。とれない(とりたくない)。

・当時のポジションが、それなりに悩みはありながらも心地よく、そこから離れたくない。

…みたいなことだったんじゃないかと思います。あぁ、今思うとダサい、ダサすぎる。でも本音。

 

あと、前代表や前副代表からきちんと「次期代表をやってほしい」と言われていないのも嫌だった(←執念深いw)。なんとなく「え、だって次は久野さんでしょ、やらないとか起業支援ネットが潰れてもいいってこと?」的な(そんな言われ方は実際にはされていないけど、その時の雰囲気を久野の脳内で変換するとそうなる)みたいなのが嫌で、ちゃんと「あなたにはこういう能力があり、絶対にできると思うから、ぜひ次を託したい」って言われたかった~!!

あ、でもこれは今思うとどっちがよかったのかわからない。もしそういう言い方で口説かれていたら、しばらくの間はその言葉が拠り所になったかもしれない。でも、呪いになったかもしれない。いつまでも「こうやって言われた”から”引き受けた」と思ってしまって、「自分で決めた」という感覚が持てないままだったかもしれない。

 

更に加えて、前代表の退任理由が「新しいことをやりたいから」っていうのも嫌だった(もう、嫌々だらけだな、2歳児か(笑))。わたしはこんなに「新しいこと」に向かうのが嫌なのに、なんであなたはそんなに軽々と「新しいこと」に向かっていけるのか。わたしの気も知らないで、なんでそんなにイキイキと次の準備をしちゃってるの!?えぇ加減にせい!みたいな。

 

なので、かなり長い間(2年間くらい?)ゴネていました。ある瞬間は「やってもいいかも、できるかも」と思い、次の瞬間には「やっぱ無理」と思うような、揺れる時期が続いていたし、いろんな人に八つ当たりもしたし、「どっかの偉い人を連れてきて代表になってもらって、わたしは事務局長のままっていうのはどうだろうか」(←偉い人の心当たりはない)と真剣に思ったり。

 

それでもいろんな方に愚痴をこぼし、相談にのっていただき、最終的には「やる」と決めたわけです。最後の最後の決め手は、ある人から「別に久野さんに理念がなくても法人にあるからいいんじゃないですかね」と言われたことと、「もし今の自分みたいな人が相談に来たら”どうしても嫌だったらやめればいいから、せっかくのチャンス、挑戦してみたら?”って言うだろうな~」とぼんやり思ってしまったこと。

 

代表になることが決まった総会のあとの懇親会では、こんなサプライズもらいました。多分わたしが本当に不安そうだったのを見るに見かねたスタッフが、いろんな方から集めてくれました。

 

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今でも大事にとってあります!

 

今となっては、代表になってみてよかったと思っています。というか、それ以外の人生はあり得なかったわけだから、よかったと思うしかない、思えるようにしていくしかない。

実際、代表になってみて「自分が変化したな~」と思う部分もたくさんあります。

 変化した一番大きなところは、「自己主張がはっきりするようになった」ことでしょうか。これはまぁ周りの人からしたら、迷惑な部分もあるかもしれないけれど…。

それまでは、自分は「決められない人間」だと思っていました。例えば対立する意見があったときに、「どっちの意見もわかる…」と思ってしまうような。でも、今思えば、それは「決める練習をしていなかった」ということ。だって今まで「決める能力」は必要なかったわけだから。で、ちゃんと練習したら決められました。わたしにもありました、わたしの意見が!!(と気づいたときの驚きときたら)

 

あとは、これはちょっといい話風でアレなんだけれど、やっぱり人に感謝することは増えた。それまでは、やっぱりどこか承認や評価を求める気持ちが強くて(基本的に承認欲求が強いのは今でも変わらないけれど)、「こんなにやっているのに」とか「なんか上に振り回されてる…」と感じることが多かったのだけれど、今はそれは基本的にはない。何をやっても、すべて自分が最終的には判断したことで、全部自分に返ってくる。だから、上手くいかなかったことは全部自分のせいだし、上手くいったら自分で自分を褒めればいい。そんな風にだんだんなっていったら、これがものすごく「楽」なことに気づきました。だって、人は変えられないし、思ったように動いてくれない。もちろん、自分も簡単には変えられないし思うように動けるわけでもないけれど、でも、「最後は自分だ」って思えることがこんなに楽なことだっていうことは、本当に予想外でした。

 

というわけで、わたしが10年代表をやってみて気づいたことは、その時点で”わたしはこんな人間だ”と思っていることは結構アテにならないっていうこと。これは周りからみた評価も同じ。

その場面に実際に立ってみないと出てこない自分の能力、どんな風に動くかわからない自分の気持ち。人間は、常にそういうものを抱えているのではないかと思います。

 

だから、もしこれから組織や事業を引き継ぐ立場にある人は、それはそれは辛いだろうし、嫌かもしれないし、苦しいかもしれない。けれど、やってみないとわからない世界がある、ということだけは確かで、その場に自分の身を置いてみるというのは、自分だけではできない体験だと思うのです。だから、自分を信じるというよりは、自分を信じてくれた周りを(先代を含む)信じられるのならば、ぜひチャレンジしてみてほしいと思います。

「人生で本当に大事なことは大抵自分だけでは決められない」とわたしは思っています。流れの中で。偶然が重なって。突発的に。本当に大事なことは、そんな風に決まっていくのだなぁとも思います。

 

そして、やってみた上で、本当の本当に辛かったら、いつでも止めていいと思います。それは、周りからどんなに無責任だと言われても、身勝手だと言われても、自分の心と体を最終的に守れるのは自分しかいないと思うからです。

わたしは幸い、10年健康を害することもなく(←もともと頑丈…)続けることができましたが、これはわたしの力ではなくて、本当に周りの人たちが、わたしのいない場所でどれだけ心を砕き、心配をして、見守ってくださったのか、ということに尽きると思っています。本当にありがとうございます。

 

本当はこの後、次世代に代表を譲りたいと思っている創業者のみなさんに言いたいこと(←おばさんの主張)を書こうと思ったんですが、長くなりそうなので、一旦区切ります。

 

(たぶん)続く…

(もし、タイトルからしれっと「その1」が消えていたら、あ、久野は書くのを諦めたんだなと察してください。。。)

 

2019.2.21追記:「その2」書きました!

huurinntei.hatenablog.com

 

”強さ”を得て失うもの

先週末、こちらのトークイベントに登壇させていただきました。

吉川トリコトーク「革命前夜は終わりました。」(NEW LOOK 2019)
https://www.facebook.com/events/1948480808781271/

 

小説家の吉川トリコさんとともに、吉川さんの作品「マリー・アントワネットの日記」を軸にしながら、ジェンダーについて語るというもの。

今振り返ると、いったい何を話したのかあまり覚えていないんですが(起業相談のときなんかもそうなんですが、集中しすぎるとそのときはものすごく深い話ができたような気がするのに、終わると自分が何を話したのかほとんど思い出せないことがある…)、楽しかった記憶だけは残っています。

だからいつか参加された誰かにレポート書いてもらないかな~と願っているんですが、かろうじて記憶に残っているものの中に終盤での吉川さんのこんなお話がありました。

 

女を、男を、人間を取り巻く社会の状況をいろいろと話した後に、吉川さんが「でも、わたしも強いんです。強い女なんです。だからいつ加害者側になるかわからない。どうにかして加害者にならないでいられるかということが自分自身のテーマなんです」とおっしゃった。隣で首がもげそうになりました。

 

なぜなら、わたしも同じだから。

 

先日、起業支援ネットの会報誌の記事のために、起業支援ネットのメンバーたちと対談をしました。(困ったときの内輪対談企画w 3月発行号。お楽しみに!)

そのときにも少し話したのだけれど、起業支援ネットに入ったときの自分は本当になんにもできなくて、それが悔しくて、早く役に立てるようになりたい、と思っていました。だから学んだし、考えたし、頑張った。そうしたら、だんだんできることが増えていった。(絶対的な努力量は、人様に比べたら足りないかもしれないけど、自分的には頑張った…)

 

でも、ある日(2年前くらい?)スタッフに「久野さんもエラくなっちゃったから、本音を話しづらくなった人もいると思いますよ~」と言われ(こういうことを面と向かって言ってくれるスタッフがいるのが、うちの自慢!!!)、ハタと気づいたのです。

別に全然エラくはなっていないんだけれども、それでも経験は増えたし、知っていることも増えた。だから、時には最短距離が見えることもあるし、誰かに伝えられることも増えた。

でも。

例えば「聴く」ことしかできなかったときの必死さでもって、今の自分は聴けているのかと。聴けていない、と思う。というか、「聴く」ことの大きな質的変化があったと思う。今の「聴く」だからこそできることもあるとは思うけれど、今思えばあのときの「聴く」はあのときだけの「聴く」だったのかもしれない。

 

強くならないとできないこともある。もし17年前に戻ったとしても、わたしはやっぱり必死で強くなろうとするだろう。でも、強さをきちんと御すことがこんなに難しいってことはだれも教えてくれなかったなぁと思う。

先日ある場所でちょっと声を荒げてしまう場面があった。おそらく自分で思っている以上に相手には「圧」をかけてしまったんだろうな、と思う。

 

強くありたい、とは今でもやっぱり思う。でも、その強さをどうしたら正しく扱えるのか、途方に暮れてしまうこともある。

「NPOと編集」についての文章を掲載いただきました

今年の9月に、

みえ市民活動ボランティアセンターで「NPOのための情報編集講座」を担当させていただいたご縁で、季刊誌「READER」に下記の原稿を掲載いただきました!お世話になったみなさま、ありがとうございます。

許可をいただきましたので、こちらに転載させていただきます。(写真もみえ市民活動ボランティアセンターのフェイスブックページからお借りしております。何から何まですみません!!)

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NPOと編集 ~NPOにも編集が必要~

「編集」という言葉を聞いて、何を想像しますか?新聞や雑誌、映像の編集を思い浮かべられた方も多いでしょう。NPOの世界では、会報誌の制作や、チラシやホームページを使った情報発信の中で「編集」を意識する方もいらっしゃると思います。

実は「編集」とは、もっともっと幅広い概念なのです。普段の会話にも、料理や子育てや恋愛にも、ITのようなシステムにも、そして教育やビジネスにも「編集」があります。例えば、昨日見た映画の印象、一日のスケジュール、会社のプレゼン、海外旅行のプラン、国の法律、これらはすべて「編集」されているものです。
ただ、私たちは、日常では「編集」を意識することなく暮らしています。この無意識を意識化し、情報を動かしながら、新しいものの見方や方法を獲得していくことを「編集術」と呼びます。

 …あれ、よく考えてみたら、NPOの活動って「編集」そのものではないでしょうか。

 

わたしたちNPOの活動は、社会の中のちょっとした違和感から始まります。世の中で「当たり前だ」「仕方がない」と思われているもの、「誰かが我慢すべきだ」「自己責任でしょ」と言われてきたもの。そうした言葉をそのまま受け入れることなく、「一部の人の問題」「個人の責任」は実は「社会の課題」なのではないかという問い直しをするのがNPOという存在であるはずです。

同時に「社会の課題」の解消・解決を図るという営みは、決して一人でできることではありません。人や組織をはじめとする様々な社会資源をつなぎ、役割分担をしながら、社会に新たな機能を生み出すこともNPOの大きな社会的な役割です。
そう思うと「NPOとは、一人ひとりの問題意識と目指す未来(理念)を軸にして、社会を再編集する存在である」と言い換えることもできそうです。

 

NPOの日々の業務にも「編集」はいたるところに潜んでいます。

例えば、助成金の申請をするとき、プレゼンテーションをするとき、会員をはじめとする仲間を集めたいと思うとき、わたしたちは日々の活動を言語化しなければなりません。

ただ、わたしたちが日ごろ現場で見るもの・聞くもの、感じていることのすべてをそのまま誰かに伝えることは不可能です。わたしたちが持っている無数の情報の中から、伝える相手に応じて、情報を選び出し、わかりやすいキーワードに置き換え、並べ替えて、なんとかその実態や実情を伝えようとします。

ただ、「想いはわかるけれど具体性がない」と言われたり、一方で、「細かな取り組みはわかるけど全体像が見えない」と言われたり。そんな体験を重ねる中で情報発信に苦手意識を持ってしまう方もいるようです。

 

また、設立当初は気心の知れたメンバーと活動を行っており、わざわざ理念やコンセプトを言葉にしなくてもよかったというNPOもあるでしょう。でもそんな団体も、新たなスタッフや協力者が増える中で、想いを言葉にして分かち合うことや、新たな言葉を生み出していくことが求められます。

社会の中の「当たり前」に違和感を感じて立ち上がったはずのNPOが、組織内の「当たり前」を変えられずに苦労する、ということも決して珍しいことではありません。しかも、誰も「悪くない」のです。

そんなときは「編集」を意識してみるとよいでしょう。
例えば、編集術をインターネット上で学ぶことのできるイシス編集学校では、「コップ」の呼び方や使い方を思いつく限り挙げていく、というトレーニングがあります。

わたしたちが普段、NPOの活動や事業の中で当たり前のように使っている言葉を何通りに言い換えることができるでしょうか。

「いきいきと」「生きる力」「安心できる場所」「つながり」「自律的」などなど、NPOの理念やコンセプトには、どうしても抽象度の高い言葉が使われることが多いのです(そうでなければ表現できないことも多いのです)。

ただ、こうした言葉がただの「コトバ」になってしまわないよう、血の通った、体温のあるものになるためには、その言葉からどれほど豊かなイメージが想起さられるかがカギとなります。

あなたのNPOにとって「つながり」とは一体どのようなものを指すのか。一度100通りに言い換えることにチャレンジしてみると、きっと新たな発見があることと思います。もしかしたら、あなたの考えている「つながり」と、別の人が考えている「つながり」は違うかもしれない。でもその違いがあるからこそ、そしてその違いを知ることからこそ、新たな、そして豊かな「つながり」を見出していくことができる。

編集術はその相互コミュニケーションの方法であり、NPOの活動が生む価値を裏付ける実践的な技術です。

NPOとは、もともと<弱さ>から出発するものであったはずです。“常識”にかき消されてしまいそうな小さな声に耳を傾け、それをそのままにしてはおけないと思い、その小さなか細い声の中にこそ未来へのヒントがあると直感した“普通”の人たちが立ち上がったことが、多くのNPOの原点ではないでしょうか。


イシス編集学校の校長である松岡正剛氏は「弱さによって相互作用が生まれる」「弱さこそが真に過激なのである」(※)と言います。NPOでは、よく経営基盤や組織基盤の脆弱さが指摘されますが、その<弱さ>があるからこそ、多くの人々の力を借り、小さなできることを持ち寄り、それが地域や社会で新たなネットワークを形成し、誰かの居場所や役割を創ってきたという歴史があります。それは小さくとも、過激で鮮烈な出来事だったのではないでしょうか。そこから新たな経営基盤や組織基盤のあり方を生み出すのがNPOだと思うのです。

表層的な強さを求めることなく、<弱さ>からはじまる相互編集を目指して。NPOにこそ編集力が必要なのです。
 
※「フラジャイル 弱さからの出発」松岡正剛 (ちくま学芸文庫)

<参考図書>

ボランタリー経済の誕生 自発する経済とコミュニティ」金子郁容松岡正剛下河辺淳実業之日本社
「知の編集術」松岡正剛(講談社現代新書)

 

「命の使い方」を思う日

もう3年目なんだから、今年はさすがに忘れてしまってもバチは当たらないだろう、なんて思っていたけれど。

 

なんとなく自分でも思い出してしまったし、長屋でも「今日は関戸さんの命日ですね」って声をかけてもらったり。

起業支援ネットの創業者であり、起業の学校の創始者であり、実母でもある関戸が旅立って3年が経ちました。

3年経って、やっとやっと。関戸が倒れてから旅立つまでの10日間のあいだに、それから旅立ったあとも、どれだけたくさんの方々に手や心を寄せていただき、支えていただいたのか、ということに改めて思いが至るようになりました。その節は、本当にありがとうございました。

 

関戸の残した「命の使い方」という言葉に、どれだけの人が支えられ、あるいは縛られ、それでもやっぱり支えられているのだろう。言葉は、寿ぎ(ことほぎ)でもあり、呪いでもある。

命の使い方、つまりは使命。

 

事業や組織を背負っていれば、誰だってすべてを放り出したくなることはあるだろう。いや、別に事業や組織を背負っていなくたって。

それでも、命の営みは続いていく。そこから逃れられないとするならば、どう立ち向かうのか、つかむのか、受け止めるのか。なんなら逸らしたっていい。手放すこともあり。何かが営まれ続けることが大事だということか。

 

さすがに、仕事のあれこれでの判断や決断で、関戸の意見を聞きたいと思うことはなくなった。でも、こんな出来事やあんな出来事をどう思う?と聞いてみたいことは増えた。

ただ聞いてみたいと思いつつ、こんな風に言うんだろうな、とか、まさかの視点で返してくるんだろうな、というのはなんとなくわかるし、それが外れていたとしても、怒る人はいないし、まぁいいか(笑)。誰かの中で生き続けるというのは、この程度の緩やかなことにしか過ぎないと思うし、それでいい、とも思う。

 

関戸が旅立ってから出会った方やご縁をいただく方も増えてきたので、こんなようなことを書くのも最後になるような気がしている。

ただ、10月15日は、わたしにとって「命の使い方」を思う日であり続けるだろう。

 

「まぁそんなに肩肘はりなさんな。どうせ来年は忘れてるでしょ?それでいいのよ」

そんな声が聞こえたような気がするのは気のせいか。やっぱり敵わないな。

あいちコミュニティ財団の「今後に向けてのご報告」を読んで

2018年度の前半、世の中ではたくさんの不祥事がありましたけれど、例えば、日大アメフト部の悪質タックルをめぐる騒動をみながら、わたしはいつもあいちコミュニティ財団のことを考えていたように思います。

 元監督の自身の行いを全く内省できていないのだろうなと思わざるをえない謝罪も、逆ギレしていた司会者も、後手に回り続けた組織の対応も、不祥事を起こした、不祥事が起きてしまった組織というのは、ここまで相似形になるものかと暗澹たる気持ちになっていました。。。

 

昨日、あいちコミュニティ財団から「あいちコミュニティ財団の今後に向けてのご報告」が公開されました。

aichi-community.jp

 

 十分なものだとは全く思いません。この度の出来事に対して、誰がどの程度詳細な状況を把握して、どのくらいの危機感をもって今回の発表に至ったのかがわからないので、そのあたりのもやもやは残ります。

 

主な疑問点は二つ。
【1.部門別の会計が行われていなかったってマジか!】
→このことを公表してくださったこと自体には敬意を表します。ただ、お金を預かる団体としてはもちろんのこと、NPOや団体を支援する団体としてもありえないことだと思います。なぜそのようなことになってしまったのか、その結果どのような会計処理が行われていたのかということについては、今までの発表の中でも言及がありません。その点は、曖昧にせず、公開されていくことを望みます。

 

【2.財団の今後の立ち位置(理念と姿勢)まだ不明確】
→本当の意味での方針は、まだ明示されていないと感じています。例えば、社会的なしくみづくりを担うのか、寄付者の代弁者になるのか、団体を支援する機関なのか、というようなことです。今回、この3つの立場が矛盾したときに、バランスのとれた良き選択ができなかったことが不祥事の大きな要因になっていると感じています。ステークホルダーの意見を聞くことは大事ですが(聞かないよりはずっといい)、でも、その一番の魂の部分をステークホルダーに聞く、というのも無責任に思えます。担われる方の中でしっかりと検討し、示していただきたいと思います。

 

上記の言葉は、設立時の理事であった、またその後も様々な仕事を財団とご一緒させていただいてきた自分自身に大きく刺さります。

 

設立時、不祥事が起こった時よりはずっと事業はシンプルで、状況は把握しやすかったとはいえ、不祥事につながるような労務管理の問題、支援先の団体さんへのふるまいの問題、当時の職員の方とのコミュニケーションの問題など、不祥事につながる萌芽はあったし、大丈夫かな…感じていました。その都度、できる限り、財団や前代表に働きかけたり、理事会で意見はしてきたものの、もっともっと声を上げなければいけなかったのではないか、という自責の念は常にあります。そして、声を上げられなかった理由が、「組織としての成長を待ちたい」という想いももちろんあったものの、「あんまり言いすぎると逆に聞く耳を持ってもらえなくなるのではないか」とか、「現在急成長している組織にあんまりごちゃごちゃ言って面倒な人だと思われたくない」という気持ちがあったことも事実です。今回の出来事に関わってしまった人間として、この想いは、忘れることなく、背負わねばならないと思っています。

 

奇しくも、ちょうど昨日、日大アメフト部に関しては、関東学連が公式戦復帰を認めないことを発表しました。
わたしたち非営利組織の世界は、幸か不幸か関東学連のような、復帰を認めたり認めなかったりする機関は存在しません。だからこそ、これから関わる一人一人、過去に関わってきた一人一人が、判断するしかない、ということだと思うし、その判断の積み重ねが地域の未来を決めていくのだと思います。

 

今回の発表も、いろんな方がいろんな思いで受け止められたり、受け止められなかったりしたことと思います。
発表に至るまで、力を尽くされたり、尽くさなかったり(?)した方もいらっしゃることと思います。
不十分とはいえ、では、もし自分自身が財団の中でこれを発表する立場だったらどこまでのことができただろうか、とも思います。この度の発表に尽力されたみなさまには心からの敬意を表したいと思います。

 

今回の発表を、これまで財団に関わってきた、応援してきたすべての人が、【自分の中にある財団的なもの】に向き合い、こうしたことが二度と起こらないために、あるいは、起こったとしても誠実に対応するためには、どうしたらいいのかを改めて考えるきっかけになればと願っていますし、自分自身、そうしていきたいと思います。

就活と1995年の事件とわたし

25年位前、就職活動をしていた。全然うまくいかなかった。

 

今思えば、何もかもが足りていなかった。自分を客観的に見る力も、自分自身を掘り下げる力も、働くということがどういうことなのかを考える力も。なんとなく女性でも活躍できそうな仕事がいいな、というくらいの気持ちしかなく、うまくいかないのは当たり前だった。

同級生がどんどん内定をもらっていく中で、まったく結果が出なかった。最終選考まではなんとか進むものの、その先にいけない。「なんとなく人当たりと要領はよさそうだけど、きちんとモノを考えることができない子」。わたしが採用担当だったら、きっと当時の自分をそんな風に評したに違いない。

一応、それまではなんとなく「優等生」で、それなりにやってこれていた。そのやり方が通用しないのが辛かった。辛かったけど、辛さの原因が自分の甘さにあることも明らかだったので、辛いとも言えず、悶々と鬱々としていた。ぐちゃぐちゃでドロドロだった。

 

結局、最後の最後で拾ってくれた会社に入社することになったのだけれど、当時は全然納得いっていなかった。東京本社の、もっともっと大きな会社で働きたいと思っていたので(←もうそんな風に思っている時点でダメなんだけど…)、負けた気がした。(ま、結局その会社で大いに鍛えられ、今の自分の土台が築かれたと思っているので、結果オーライなんだけど、それがわかったのは、もっともっと先のハナシ)

 

「正解」がある世界で生きていきたい。「正解」がある世界でなら、きっと自分も高く評価されるはずなのに。認められるはずなのに。なにかの「正解」さえ示してくれたら、一生懸命頑張るのに。自分で考えることを急に求められても困る!そんな風に思っていた。

時々ぼんやりと「あぁ、学生運動が盛んな時代に生まれていたらよかったなぁ」なんて思ったりもした。戦う相手がはっきりしていて、みんなで一つの目標に向かっていけた時代がうらやましかった。(別に戦う相手もはっきりしておらず、”みんな”でも”一つ”でもなかったことがわかったのは、もっともっと先のハナシ)

 

社会人になって1年目の冬に阪神淡路大震災が起こり、春先にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。

地下鉄サリン事件の報道が連日行われる中で、幹部の多くが高学歴であることにも触れられていた。「優秀な人がなんでこんな犯罪に加担してしまったんだろう」という論調も多かった気がするのだけれど、わたしは、なぜ高学歴な人が加担してしまったのかがわかってしまうような気がする自分自身が怖かった。怖くて怖くてたまらなくて、その気持ちには蓋をすることにした。

当然のことながら、わたしはサリンを撒いていない。撒いていないんだけれど、あの就活で辛かったとき、自分が社会から必要とされていないように感じたとき、誰かに「正解」を与えてほしいと思ったとき、心のどこかに空洞があったことは確かで、もしも、もしも、なにかのきっかけさえあれば、ボタンの掛け違えがいくつか重なれば、どうだったのだろう。ふとしたきっかけで走り出した何かが、歯止めを失ってしまったとき、わたしはわたし一人の力でそれを止めることができただろうか。できなかったのではないか。

あの時に感じた「自分自身への恐怖感」は、今も、心の、頭の、細胞のどこかにある。

 

あっち側とこっち側は、そんなにはっきり分かれていない。

 

今日、オウム真理教の一連の事件で死刑囚となっていた7名の死刑が執行されたという。最近は、あのときの怖さの感覚を思い出すことは減っていたけれど、そのニュースを聞いて、思い出してしまった。「あっち側」と「こっち側」は地続きだ。あれは、狂った誰かが起こした事件だったのか。この社会の中に居場所と役割と承認がほしくてたまらなかった”わたし”が起こした事件だったのではなかったのか。

 

ありがたいことに、わたしは今、役割と居場所を与えられ、なんじゃかんじゃともがきながらも、ご機嫌に日々を生きることができている。だからこそ、地続きのあっち側とこっち側の間に、それでもなにかそこを分ける「一線」と呼べるものがあるとしたら、それは何なのかを考え続けなければならないと思っている。

 

事件で亡くなられた方のご冥福と、ご遺族の方、今も後遺症に苦しんでいらっしゃる方、それを支えていらっしゃる方のお心が少しでも癒されることをお祈りいたします。