書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

「身の丈」でいるためには胆力が要る

5月末で、起業支援ネットも20期目の事業年度を終えました。(法人設立は1999年なので、法人としては19年なんですが、途中で事業年度の変更をしたために、一応期としては20期を終えたことになります)

今期はささやかですが、なんとか賞与の支払いもできました。よかったです。。。

 

現在、総会の準備などをしていますが、今年度の方針には、1項目目に

「身の丈の起業・事業を身の丈で応援することを、すべての判断・行動の軸とする」

と書きました。

実は、ここ数年、ずーっと「うちは身の丈でいきますーーー!!!」ということを書き続けてきたので、もう正直書くことない、「今年度もいろいろちゃんとやります」とだけ書きたい、とすら思ったのですが(笑)、そういうわけにもいかないので、やっぱりこういう表記になりました。

 

「身の丈」を標榜していると「そうだよね!」と言ってくださる方がいる一方で、「本当にそれでいいの!?」という反応をいただくこともあります。

時々、法人運営等についてのヒアリングを受けたりしますが、「いいスタッフに恵まれて、それぞれの得意分野を活かしながら、日々ご機嫌に仕事をさせていただいております!」みたいなことをお話しすると、ちょっとがっかりされるような(笑)。

社会課題解決にまい進するNPOは、常に人材不足、資金不足に悩んでいなければならない…というような空気感を感じることもあります。ま、うちも何も問題がないわけではありませんが、起業支援ネットがやるべき仕事をやるべき形でさせていただいていて、本当に各方面には感謝しかありません。

 

身の丈って別にチャレンジしないっていうことではなくて、するべきチャレンジを自身(個人でも組織でも)が最大限活かされるような形で選んでもよいと心得る、ということだと思っています。

 

そうすると、世の中で起こっている様々な事柄に対して、またご依頼に対して、断ることもあるし、関わらない選択をすることもある。

その道を選ぶということは、常に自分自身に問いかけるということでもあって、

・ただ、サボっているんじゃないのか

・ただ、わがままなだけじゃないのか

・身の丈にこだわるあまり、誰かに迷惑をかけているんじゃないのか

という問いは、わたしの中でもいつもぐるぐるしています。

 

…だから、胆力がいるなぁって思うのです。

やらないという決断は、やるという決断よりも、難しいことが多いから。

自分自身の中にも、身の丈を超えたものに対する憧れもあったりするから。

 

でも、やっぱり、これまでいろんな人や組織や場面や事業に出会ってきて、身の丈は大事だと思うので、誰に何と言われても、思われても、自身(個人も組織も)の一番大切なものが損なわれないような選択をし続ける、ということは、これからも大切にしたいところです。

 

そういえば、2014年の活動方針にはこんなことを書いていました。

コミュニティビジネス・ソーシャルビジネスが少しずつ社会の中に定着するに伴い、その「成果」への「評価」についても、新たな局面を迎えていると感じており、その評価の在り方自体が新たな社会課題を生み出しかねない状況には危機感を感じている。

 思えば、起業支援ネット立ち上げ時にも、また起業の学校を開校した折にも、「支援対象を選ばない」(むしろ、支援対象から選んでもらうことを目指す)とした方針には賛否両論があった。しかしながら、常に起業支援ネットは「必要としてくれる人材や組織があるならば、そこで彼らとともに最善を尽くす」という道を選んできた。それは、社会課題解決を志すことにおいて、より早く効果的な手段を求めるという発想そのものが、社会課題を生み出してきた構造と酷似していることへの私たちなりの答えでもあった。

 「変革は弱いところ、小さいところ、遠いところから」という言葉の意味を今一度しっかりと噛みしめつつ、「自らが社会のリスクを引き受けて新たなコトを起こすと決意した人材や組織」への敬意を決して忘れることなく、また自らの支援の力量を上げるよう最大限の努力を怠らず、心して支援に向き合いたい。

 

今でもその気持ちは変わらない。

だからこそ、胆力をあげていきたいと思う。美味しいものも食べて。本当に思うことを語り合って、笑いあって、ご機嫌に生きるのだ。どんなに目の前に嵐や荒野が広がっていても、その先に光があることを、まずは自分自身が信じるのだ。

f:id:kunominako:20180701145704j:plain

※昨日食べた美味しいものの一部!

 

言葉を使うとき、そこに愛がありますように

ここ数日、周りでプチ批評ブームとも言えるようなムーブメント(?)が起きている。

 

【批評】[名](スル)物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。(goo国語辞書)

 

言葉にするということ。自分の意見を述べるということ。その中で自身の考えが整理されたり、そこから対話が生まれ、発想が広がり、新たなものが生まれることもある。自由にものが言えない雰囲気よりは、ずっとずっといいと思う。一過性のブームではなくて、積み重ねられていくといいなと思っている。えぇ、もちろん自分もその一端が担えたら、と。

 

そんなことを思いつつ、少し前に友人たちと話したときのことを思い出した。

同世代の、割と抽象的な議論も好むメンバーで、あれこれ楽しく真面目に話した帰り道。一人で名鉄電車に乗ったころに、友人からの「今日はありがとうね~」というようなメッセージが届いた。

その中に「わたしたちは、体験したことや感じたことを言語化する力を持っていると思う。その力を大切に使っていきたいね」というような言葉があった(すごくいいメッセージだったのに、ちょうどスマホの修理の狭間で、バックアップ漏れして消えてしまったのが悔やまれる。。。)

 

言葉にできる、というのは、例えば手先が器用、とか、足が速い、とか目がいい、とかっていうのと同じレベルでの能力だと思った方がいいのかもしれない。

もちろん、トレーニングや場数で上達はある。ただ、やっぱり得手不得手はあるもので、やる気の問題だけでもないという自覚は、書ける・言える人の方が持っておいたほうがいいと思う。それでいけば、まだまだ不十分とはいえ、多分、わたしも「書ける」し「言える」人間だということ。それは、自分が努力して獲得したスキルでもあるけれど、「与えられた」ものでもある、ということ。

 

「与えられた」ものならば、やっぱり愛をもって使っていきたい。批判も、つっこみも、文句だって、怒りの言葉ですら、そこに愛があるかどうかは、やっぱりにじみ出てしまうもの。どんなスタイル、どんな流儀であったとしても、その言葉が、誰かへの、できれば<世界>への愛のある、誰かを照らし、温めるものになりますように。誰よりも、自分自身に言いたくて、このブログを書きました。

 

「そこに愛はあんのかい?」って江口洋介も言ってたな(古すぎる)。

 

f:id:kunominako:20180529193829j:plain

※日曜日に漬けた梅。手仕事とか、丁寧な暮らしとか、全然苦手だけどやってみた!

あなたの(組織の)理念は、危機のときにこそ試される

ここ数か月、メディアでも様々な「不祥事」が取り上げられていました。

そんなとき、まぁ、内容も気になるんですが、「あぁ、この組織のこの担当の人は今ほんっとうに大変だろうな」「この人(たち)を支えているメディアに出てこない多くの人たちは、どんな気持ちで仕事に向かっているのかな」などと考えてしまいます。(ちなみに「この会見は、謝罪の”型”としてはいろいろと押さえていてすごいな!」とかも思いました。)

 

不祥事って…、個人にとっても、組織にとっても「危機」なわけです。そんなときに、関わる人たちが何を思い、何を考え、どう動くのか、ということについては、やっぱり無関心ではいられない感覚があります。

 

で、思い出したのが、起業の学校公開講座Ⅱで「理念体感ワークショップ」を担当した起業支援ネットの戸上が、終了後にフェイスブック上でつぶやいていたこのコメント。(フェイスブック上では公開設定にはなっていなかったので、本人に了承を得たうえで、大事なところだけ引用します)

 

ここでいう「理念」とは、その企業が最も上位に掲げている目的・姿勢のことなんですが(なので、企業によっては別の名称を使っていることもあります)、それというのはつまり、その企業が本当に困った時に、最後の最後に判断の拠り所にするもののはずなんです。ということは、理念のレベルが低いと、変な経営判断を下すことになってもおかしくないわけです。

理念と業績は、どうも関係ありません(元も子もない表現ですみません)。
ま、理念が素晴らしいことと、利益を上げられることが一致しないのは、起業の学校の卒業生なら、みんな分かってますよね(前半の理念づくりでも苦労したでしょうが、後半のビジネスモデルづくりでも、また別の意味で苦労したでしょ)。

 理念のことを、その会社の業績がいい時に、ああだこうだ言ったって、経営者は聞く耳持たないもの(本当は、業績の良い時でも、理念があった方が暴走せずに済むとか、良い面はあるはずなんですが)。
ところが、ピンチに陥った時、拠り所にできる理念があることのなんと有難いことか。(理念がなくても、ピンチに的確に判断できる天才社長もたまにいるでしょうが、それは目指して成れるものではない。) 

ピンチの時こそ、その企業の体質が本当によく分かります。
そして、ピンチの時に、もし理念が判断の拠り所にできないとしたら、その理念と思っていたものは、実は本物の理念ではなかったのかもしれません。

 

これは、もう、本当に。いろんな方と、いろんな組織と出会わせていただく中で、肌感覚としてわかります。大きな経営的なピンチを(外発的なものも含めて)乗り越えたり、乗り越えつつある組織は、やっぱり理念がホンモノだったし、それを事業を通じて実現させていくという覚悟が半端なかった、と思います。

 

起業に限らず、生きていくってことは、判断を間違えること、選択を間違えることの連続でもあります。もちろん、よりよき判断と選択ができるようになるために学んでいくわけですが、それでも、やっぱり間違えるのが人間で。

 

じゃ、どうするかっていうことを、追い詰められた中(=打ち手が非常に限られている中)で、誇りと尊厳を失わずに考えるためには、やっぱり【ホンモノの】理念が大事なのだと思います。そして、その理念を信じぬく力。その理念をよりどころにして出てきた判断を遂行するしかない、と思える力。実際にやりぬく力。

 

起業の前にこのあたりのことをイメージするのは難しいかもしれませんが、だからこそ、社会で様々なことが起こったときに、「自分ならどうするだろう」ということを、より具体的に、よりリアルにトレースすることは、本当にいい訓練になると思います。

 

そして…。【ホンモノの】理念をつくりたい方。

起業の学校14期でお待ちしています! → 起業の学校14期

 

f:id:kunominako:20180507154633j:plain

 

身の丈起業の極意

3月24日、起業の学校14期の無料公開講座として、「起業家座談会~身の丈起業の極意」を開催しました。

 

前半はゲストの方々の事業や、起業(や経営者になるまで)の経緯を中心にお話を伺い、休憩。休憩時間の間に、ゲストへの質問がある方は、付箋紙に質問を一つだけ書いて提出していただき、後半はその質問に答えていただく、という形式で進めました。

 

ゲストは、

株式会社にんじんの伊勢戸由紀さん

(株式会社、職員→役員→代表取締役へ。創業30年を超える事業)

NPO法人多文化共生リソースセンター東海の土井佳彦さん

NPO法人、ボランティアとしての関りから代表へ。10年目を迎えようとする事業)

チームシリウスジャパン代表の政岡美里さん

個人事業主、アスリートから経営者へ、起業の学校12期生、1年目の事業)

のお三方。

f:id:kunominako:20180326205107j:plain

(なぜにわたしはこんなに楽しそうなのか…!)

 

前半から、飾りっけなし、混じりっけなし、結構生々しい部分も含めて、率直なトークを展開してくださいました!

 

起業の学校に関心を持ってくださる方は、もちろんすでに何かの事業を始めていらっしゃる方もいますが、はじめて起業講座と名の付くものに参加した、という方も結構多いようです。だからこそ、質問も、直球というのか、素朴で、でも本質的なものが多かったような気がします。

例えば…

◆いい仲間(事業パートナー、協力者、スタッフなどなど)を見つけるにはどうしたらいいですか?←これ系の質問は本当に多かった!

◆引き受ける仕事、断る仕事の線引きはありますか?

◆どうやってお客さんを増やしてきたのですか?

◆不安や恐れ(失敗したくないという気持ち)とどうつきあっていますか?

などなど。

 

ゲストのみなさんからは

・まず、自分がこういう想いでこういうことをやりたいと思っているという旗を立てないと出会えるものにも出会えない。そのうえで、自分からどんどん出向けばいい。人が人をつなげてくれるが、自分の中に軸がないとその出会いを活かせない

・最初からどんぴしゃな出会いを求めても難しい。出会ってみて、一緒に何かをやってみて、「いけそう」と思ったり「あれ?」と思ったりする、その感覚を養うこと。

(ゲストのみなさんも、”人”の問題に関しては、苦労も試行錯誤も重ねてこられたのです)

・仕事として引き受けるかどうかは、自分のミッションと相手の状況による。ただ、安易に安く仕事を請けてしまうことは、たとえ自分や自団体はよくても、業界にとってよくないので、そこは未来を見据えてしっかりと自分で基準を設ける。

・お客さんの増やし方は、どんなお客さんと出会いたいかによって違う。そのイメージがあるか

・不安があるのは「自我」とか「欲」があるから。理念やミッションは、それを乗り越えたところにある。それでも「自我」や「欲」はちょいちょい顔を出すので、よい判断や決断ができるように自分自身を「よい状態」にしておく努力はしている。

・とはいえ、不安や恐れがあるのは当たり前でもある。いきなり自分自身の主戦場で戦うのではなくて、そうではないところで小さく乗り越える練習をするのもいいのでは。(例えば、運動のトレーニング!(笑))

 

というようなことが語られました。ここに書いたのはほんの一部で、本当はもっともっと濃いやりとりだったんですけど(けど進行に集中しすぎてメモがない。。。)、いや、やっぱりこれ、時間足りんかったのは当たり前だわ…(改めて反省)。

 

つまりですね。

「こうすればこうなる」「こうすれば絶対にうまくいく」っていうような安易な極意っていうのはないっていうのが一つの結論。

でも、「何のために、誰のためにその事業をやっているのか、どんな社会を創りたいのか」という理念と、今の自分自身の身の丈を踏まえつつも身の丈を広げて、社会とつながっていく試行錯誤が重なったときに、その人だからできる判断やアクションが必ずある。多分、それが人から見たら「極意」と呼ばれるものになるので、やっぱり極意はあるっていうことでもある。

 

ちなみに、今回、「いきなり主戦場で戦わなくてもいい」っていうのは、わたしにとっては結構ツボでした。これは、いろんなところで応用できそう。わたしも、まずは小さくてもいいからはじめてみようっていろんなところで言っていますが、それはこういう意味もあったのか!と再発見しました。

残念ながら、失敗はするんですよね。。。上手くいかないことも、それはもう山のように。失敗しないようにするのではなくて、失敗しても大丈夫なように自分と周りをしておくことが、大事なのかもしれません。そして、起業家は、何が失敗なのか、何が成功なのかを自分で決めていいのです。

 

無料公開講座は残りあと2回。

www.kokuchpro.com

 4月7日の↑の打ち合わせを今日したんですけど、かなり面白いワークショップになりそうです。わたしも参加者として参加したい!!(当日は受付やってます)

あ、これはご参加の方がご自身の理念をつくるわけではありません(それは起業の学校でやります!)。え、それで理念体感ってどういうこと??と思った方は、今すぐお申し込みを!(テレビショッピング風)

 

www.kokuchpro.com

4月21日の↑は、起業支援ネットの副代表であり、知恵袋であり、軍師であり、本質主義者で実のところ一番過激な(どんな形容…?)、鈴木が語るというレアな機会です。こちらは基本的に講演会形式なので、ワークとかはちょっとね~という方もお気軽にご参加ください。

 

卑屈にならずに「助けて」が言えること、尊大にならずに「助けたい」が言えること

タイトルは、起業支援ネットの創業者の関戸が「起業家に必要なのはこういうチカラだよね」って、常々言っていた言葉。

起業家に必要な能力っていろいろあるけれど、意外と見過ごされがちなのが、この助けてと助けたいっていうときの流儀と作法なのかもしれない、とわたしも思います。

 

 誰だって背伸びをすることはあるし、その背伸びの連続が身の丈を大きくすることにもつながるから、まずは自分でやってみたらいいとは思う。でも、わたしだって誰だって得意も苦手も、好き嫌いも、凸凹もあって、全部自力でできることなんてありえない。だったら、まずは自分で精一杯やってみて、その上で誰かの力を借りた方がよさそうなときは、遠慮せずに借りたらいい。

「助けて」というのは、自分の能力が足りないということでもあるけれど(汗)、誰かがその「助けて」を受け取ってくれるはず、という、”世界への信頼”を込めたメッセージでもあるし、受け取ってくれた誰かの活躍の場面を生み出すことでもある。

だからこそ、自分でできることが誰かの役に立つならば、惜しみなく差し出せばいい。「手伝いたい、助けたい」というのは、自分の命をそのように使いたい、ということ。偉そうにしたり、自分を大きく見せたりしようとなんて、全然しなくていい。

 

ま、そうはいっても、「助けて」も「助けたい」も爽やかに言えるようになるためには「練習」も必要だし、頭ではわかっていてもなかなかうまく言えなかったりするのも、またそれはそれで人間らしくて愛おしかったりもするんですけどね(笑)(わたしも修業中~)。

 

今日は、半年ほどお手伝いをしてきた、「輝く女性 ソーシャルビジネスプランコンテストあいち2017」の成果報告会で、3名の女性が、この半年間の取り組みとこれからについて発表をされました。

www.pref.aichi.jp

3名の発表は、まだまだ「こなれて」はいないけれど、それぞれの個性と、今の状況を等身大に表現されたものでした。お手伝いとはいっても、この半年間で数回あった研修の場でご一緒させていただき、その折々で気づいたこと、感じたことをお伝えしてきたくらいのことしかやっていませんが、同じように半年間見守ってきたJUNOの柴田さん(本日後半のパネルディスカッションで切れ味抜群の柴田節炸裂(笑))の言葉を借りれば、すっかり「母の気持ち」になってしまい、プレゼンを聞きながら、やっぱりちょっとぐっときましたよ。

 

3名のみなさんにとっても、今日がまた新しいスタート。みなさん、この半年を通じて、間違いなく「人とつながること」「人から応援されること」の大変さと意味と価値を実感されたことと思います。これからも、ぜひ、それぞれの「いのち」を、それぞれの理念の実現に向けて注いでくださいますように!そして、ぐいっともう一歩進みたいときや、ちょっと立ち止まりたいときは、どうか遠慮なく声をかけてくださいね~。

f:id:kunominako:20180319194814j:plain

 

 

あ、起業の学校も、現在14期募集中ですよ!

起業の学校も、起業を学び、事業プランを構築しつつ、人とのつながり方、自分自身の「命の使い方」を学ぶ場所でもあります~(と最後は宣伝!)。

人との繋がり方から事業経営やその手法に至るまで、
いのちの視点と人間のサイズや速度に合わせた価値観に転換することが、これからの社会に求められています。
小さくてもいい。ゆっくりでもいい。強くなくても構わない。
しかし、自己実現のため「だけ」の起業ではなく、身の丈で社会に役立とうとする覚悟は必要です。
新しい価値創造に挑む…身の丈起業にチャレンジしてみませんか?

起業の学校14期募集中 http://www.npo-kigyo.net/school-nagoya/

 

超絶運動嫌いなわたしが少しだけ走ってみた話

運動、苦手です。そして嫌いです。

小学校の頃から、運動会や持久走の日は、雨が降りますように、と願っていた子どもでした(しかし、大抵雨は降らない。。。)。

特に、小学校5年生のときに(←意外と執念深い)、クラス全員リレーみたいなやつで、わたしのせいでクラスが最下位になってしまったことと、そのことを担任の先生に結構叱られたことは、辛い思い出です(遠い目)。

 

ただ、大人になったら運動は別にしなくても済むので、なるべーーーーく運動とは距離をおいてきました。

「運動苦手なんで~」

「文化系なんで~」

と言っていれば、無理強いされることもないし、運動しなくても健康だし!!みたいな。

で、まぁ、そんな台詞を繰り返していると、”運動が嫌いで苦手”っていうのが、アイデンティティの一部になってくるわけです。なので、そのアイデンティティを維持するためにも、ますます運動からは遠ざかる…というループ。で、運動を勧めてくれる人には(せっかく勧めてくれているのに…)結構な勢いで噛みついてました!少なくとも、「運動するくらいなら死んだほうがマシです」くらいのことは言ってました!!(勧めてくれたみなさん、すみませんすみませんすみません)

 

ま、それはそれでアリの人生だとは思うのですが。

ひょんなことから、3人グループで先生の指導を受けながら「ちょっとだけ走ってみる会」というものに参加してしまったのです。

 

f:id:kunominako:20180302202536j:plain

 

もう、めちゃくちゃレッスンのハードルは下げてもらって、ちょっとしたことでも褒めまくってもらって、写真はなんとなく走っているようにみえますが、走ったのって90分中、10分弱くらい?

しかも、10分連続では当然なくて、1分走って、1分歩くの繰り返し。2分走って2分歩くが達成できたときは、もうみんなで大歓喜(笑)。

 

…あれ、楽しいじゃん。

 

終了後はカフェで、お互いいかに運動が嫌いか、できないか、敷居が高いと感じているかの競争がはじまりました!

例えばですね。わたしは今日のために、一応ジャージを買いに行ったんですよ(当然ジャージとか持ってない)。でも、スポーツオーソリティとかのスポーツショップには入れない。スポーツショップにいる自分自身に耐えられない。

で、イトーヨーカドーに行きまして。イトーヨーカドーのスポーツコーナーにも、そこそこジャージ売ってるんです。でも、ナイキとかadidasとかが、これまたハードルが高すぎて。えぇ、イトーヨーカドープライベートブランドのジャージを買いました。なんか、これくらいなら、わたしごときが買ってもいいですかね、いいですよね、みたいな感じで。

 

結論的には、自意識過剰で卑屈になりすぎているっていうことなんですが(だって、スポーツオーソリティでわたしがジャージ買うところなんて、絶対誰も気にしてない。それはわかる)、でも、嫌いなものとか苦手なものって、そういうもんですよね。で、それを気にしすぎって言われても、すでに卑屈になっているので、なんか上から言われているような気がしてしまう(…書いてて、相当めんどくせーな、自分、と改めて思う。運動に関しては、やっぱりかなり鬱屈がある)。

 

今回の「少しだけ走ってみる会」がすげーな、と思うのは、「そんなくのさんと一緒に走りたい!!」と主催者の方が声をかけてくださったこと。え、運動嫌いなままでいいの?むしろ、苦手なわたしが求められてんの??っていう感じで、うっかりオッケーしてしまったのです。しかもこの年度末の時期に(笑)。

 

えっと、特にオチはないのですが、嫌いなものとか苦手なことは、嫌いにならないような努力とか、苦手意識をなくす努力よりも、「嫌い嫌いと言いながらも、つい、うっかり、やってしまうきっかけ」の方が大事なのかもしれないな、と思いました。そして、もし、叶うならば、嫌いだったり苦手だったりする自分をさらけ出して、笑いあえる相手がそこにいてくれたら、なお素敵。そして、機会が巡ってきたときは、うっかりできるチカラも大事。

 

わたしも、10年前だったら絶対にやってなかったと思う。子育てもひと段落の域に差し掛かってきた時期だし、そして、首や腰もぎっくりくるとなかなか治らないな~と感じていたり、更年期突入のお年頃で骨密度とかもそろそろ気にした方がいいのかしら…と思っていた今日この頃だったから、うっかりできたんだと思う。

 

人間、いくつになっても成長できる。いや、運動能力は成長できないかもしれないけれど、苦手であることに執着していた自分からは、ほんの少しだけ自由になれたように思う。それは結構清々しい。

 

一方で、わたしはこの苦手・嫌いが運動だったので、社会で働くうえではそんなにハンディにならなかったけれど、これが別の能力だったとしたら…って考えてみたりもする。

ーーーーー

次回、5月くらいにまたやるみたいです。本当の本当に運動が苦手な方のみ、厳しい審査の果てに参加できます(笑)。本当はできるのにできないフリをする人には、容赦ありませんのでご注意を(笑←これは怖い笑顔のやつ)。

 

いのちの使い方を学ぶ場所

起業の学校には、「いのちの使い方を学ぶ場所」というキャッチフレーズ?サブタイトル?がついています。

 起業の学校  http://www.npo-kigyo.net/school-nagoya/

なんかちょっと重くない?とか、情緒的に過ぎるって思われないかな?とか、むしろ胡散臭いよね?とかって思うこともある。でも、やっぱり、こうとしか言いようがないよね、とも思います。

 

起業の学校には、1期生のお二人が作詞・作曲してくれた「校歌」があって、毎年卒業式で歌うんですが(生徒さんは、校歌の存在を卒業式で初めて知るので、なんとなくわちゃわちゃとした校歌斉唱になってしまうのも、毎年のお約束(笑))、そんな中にこんな一節があります。

ここはやさしさに出会うところ

ここは厳しさに出会うところ

ここはわたしの新しいいのちが生まれるところ

起業の学校の校歌なのに、「起業」とか「チャレンジ」とかっていう言葉が一回も出てこない、ということを、起業の学校の創設者である関戸は、大層気に入っていました。

 

-----

 

昨日(2018.2.24)は、起業の学校13期&通信クラス5期の合同卒業試験&卒業式。13名の生徒さんが卒業試験に臨みました。3分間のプレゼンのあとに、10分ずつの個別指南を5名の指南役の方から受ける、というやり方で、たくさんの指南役の方にも、本当に本当にお世話になりました。

(指南役の方からは「もう、指南役ってマジで大変なんだからね!!!」と言われます…。半日間、ひっきりなしにお役目があるので、めちゃめちゃハードです。それでも毎年お力を貸してくださるみなさんには感謝しかないです。)

 

f:id:kunominako:20180225150952j:plain

※個別指南タイムの写真。今年は二部屋に分かれて実施しました!

 

プレゼンに臨むにあたり、生徒さんには「小器用にうまくやろうとする必要はない。とにかく”本当のこと”ときちんと伝えてほしい」と伝えます。もう、そこから始めるしかない、と思うからです。起業の学校の生徒さんは、よく言えばひたむき、悪く言えば不器用な方も多く、毎年、この卒業試験は、本当にほんとーーーーにハラハラします(苦笑)。結果、わたしが結構ピリピリしてしまい、周りに迷惑をかけます(すみません)。

 

でも、昨日、懇親会で指南役(卒業試験のアドバイザー・メンター的な方)の方々とお話していて、こんな会話がありました。

 

「起業の学校の生徒さんって、全然ギラギラもきゃぴきゃぴもしてないよね」

「そうそう、いわゆる世間一般の”起業家像”とは違うしね」

「けど、”おぉ、そこに気づいたか~!!!”っていうことに取り組もうとしてる。みんなが言っているから、っていうことではなくって、その人なりの視点がある」

「なんか、地に足ついたひたむきさがあるっていうか」

 

これは、ものすごく、ものすごく嬉しい評価でした。

 

もし、そうだとするならば、起業を学ぶことを通じて”いのちの使い方を学ぶ場所”だけれど、でも、それは一人の中で自己完結するものではなくて、いのちの使い方を知った人は、必ず他者に向かって、社会に向かって、拓かれていくのだ、ということなのかもしれません。そして、そのことが、誰かに伝わり、誰かを動かしていく。

身の丈が、とか、命が、っていうのは、「個人」に留まる話ではないということ。

 

起業の学校は、決して生ぬるい場所ではなく、厳しさもある場所だと思っています。

でも、その厳しさは、社会の”あるべき姿”や、何かしらの”正解”や、スピードやパワーによるものではなくて、相手を信じぬくからこそ生まれるものでありたいと思っているし、支援をする側であるわたしたちも、その厳しさを一緒に受け取めていく存在でありたいと願っています。

 

あぁ、そんなことは、起業の学校の創設者がとっくの昔に言っていました。

「起業の学校」 創設の志

起業の前に、誰もが一旦「生徒」として虚心坦懐に誠実に学び、(中略)起業家としての魂を磨く…。

一見回りくどく見える丁寧なプロセスが、起業への起爆剤になるとともに、長い起業人生を支える底力となります。

(※起業の学校14期パンフレットより)

 

 

13期&通信5期が一旦の区切りを迎え、起業の学校は次の期へと向かいます。

14期の無料公開講座や「身の丈事業相談会」で、また新しい出会いがあることを、心から楽しみにしています。そして、わたしももっともっと精進しますーーー!

 

◆起業の学校14期 無料公開講座

www.kokuchpro.com

 

◆起業の学校14期 無料公開講座

www.kokuchpro.com

 

◆起業の学校14期 無料公開講座

www.kokuchpro.com

 

◆身の丈事業相談会

blog.canpan.info

f:id:kunominako:20180225153901j:plain