書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

あいちコミュニティ財団の新体制発足説明会に行ってきました

2月2日(金)、公益財団法人あいちコミュニティ財団の新体制発足説明会に行ってきました。

aichi-community.jp

ことの経緯をまとめたブログの紹介も含め、今回の件を丁寧に批評したブログを石黒好美さんが書かれたので、そちらもぜひご参照いただければと思います。

yoshimi-deluxe.hatenablog.com

わたしは、あいちコミュニティ財団の設立準備会から関わり、2013年の一般社団法人あいちコミュニティ財団(のち2014年4月に公益財団法人認定)設立から2015年6月まで理事を務め、その後は外部協力者として、アドバイザーや審査員などの業務を中心に、いくつかの仕事をしてきた、というご縁です。あと、前代表の木村真樹さんが昨年出版された書籍について、インタビュアーとして協力させていただいたこともあります。多分、どう見ても、財団とのご縁は深かったほうなのだと思います。

 

もう正直、財団のことを書くのはやめようかと思いました。みっともない自分語りになりそうな気もしたからです。ただ、今回のことで、多くの方が傷つき、動揺されていることは感じていて、誰よりわたし自身もやっぱりこのことが気になって気になって仕方がなく。書けることは書いてみて、そのあと公開するかどうか決めればいいと思い、書いてみることにします。(まったく今回の件をご存知ない方向けというよりは、今回の件に関心を寄せている方向けに書いてみようと思います。)

 

説明会について

説明会については、後日議事録が公開されるそうですので、そちらをご参照いただくのがいいと思います。

雰囲気としては、会場は60人定員で満席、スーツ率が高めで、現場のNPO関係の方たちよりも、連携先の金融機関、行政、またはフレンドレイザーやプロボノとして協力されていた社会人の方が多いのかなと感じました(存じ上げない方も多かったので、推測です)。

最初に、榎田新代表からご挨拶があり、その後今回の経緯について、戸成評議員から説明(ウェブで発表されたものにもう少し細かな日時や経緯が補足された感じ)があり、その後、由里副代表から今後の事業の方針について発表(現在の継続案件については全力で継続、来年度は基幹事業については残すものの、新規性の高いものやネットワークの拡大などに関わるものについては一旦止める、というような感じ)があった、という流れだったと思います。

思います、というのは、最初はメモを取ろうと思っていたのですが、途中で、なんというか苦しくなってきて、メモを取るのを止めてしまったので正しい記録がありません(汗)。

 

その後、参加者からの質疑と財団への意見、要望などが出され、その場で答えていただけることには答えていただき、それ以外は検討いただく、という感じで進み、2時間ちょっとで終了しました。

 

会場からは、今回の説明会の趣旨や段取りについての厳しいご意見や、今回の経緯について、本当に理事会は知らなかったのか、もっと早くになんとかならなかったのか、その他、今後の運営体制が本当に大丈夫なのかといったご質問が中心だったように思います。一方で、財団が担ってきた役割は大きなものがあるので、ぜひ今後も頑張ってほしいという励ましもありました。

発言された方はおそらく10名いらっしゃるかいらっしゃらないか、だったと思うので、参加された方全体がどうだったのかわかりませんが、発言の内容を聞く限り、今回に至るまでの事情について、なんとなく気配を感じておられたり、一定の情報を持っている方と、まったく事情をご存知ない方が混在していたように思いました。

 

ここからは感想です。

正直、すっきりとはいかない、重苦しさを残す説明会だったとわたしは感じましたが、2日経ってみて、それも無理のないこと、とも思いました。

理事会が機能していたのか、前代表だけに責任を負わせたのではないかという声もありましたが、非常勤の理事のみなさんに日々の運営状況の把握や随時のチェック機能を求めることは、非常に難しいというのが実感です。理事は基本、事務局からあがってきた情報に基づき検討や判断をするわけで、そこに一定の信頼関係があることが大前提です。すべてを把握することが前提になったら、非営利組織の理事になってくれる人って世の中からいなくなるんじゃないかな。。。

 今回の件で不十分な点はあるとしても、残られた理事のみなさんは、こうして矢面に立ち、年明けから各方面に頭を下げ続けていらっしゃる。もちろん、被害を受けられた方への対応、ケア、配慮が最優先されるべきであることは言うまでもありませんが、それ以外の立場の人は、現在の状況が、理事や現在も職務を続けている職員のみなさんにとってどれくらいストレスのかかることであるかということへの想像力と、それを背負っている方たちへの敬意は忘れてはいけないと思います。

また、前代表だけに責任を背負わせたのではないかということについては(こうした意見はSNS上でも見かけますが)、わたしはどうしても、そうは思えません。むしろ、こういうときに責任を果たさずして、何のための代表か、と思います。もちろん、これは自分自身への戒めも込めて、です。

であればこそ、本当は、前代表の木村さんには、説明会に来ていただき、お話を伺いたかった。今回は、責任を果たし、それを対外的にもご自身に対してもプラスの作用を生み出す格好のチャンスだったのに、と心から思います。

もちろん、今回の事態が木村さんに与えたダメージも計り知れず、心身の状態が整っていなかったのだとしたら、無理を言うことはできませんが、それでも、ここを乗り越えずして、心身の状態がよくなるとも思えないのです。

今まで誰よりも孤独に闘ってきた人が、本当の意味で弱さをさらけ出し、厳しい状況の矢面にきちんと立ち、どんな言葉にも耐え、その上で人とつながりなおすということは、言葉で言うほど簡単なことだとは思いませんが、それを、その時を待っている人は大勢いると思います。様々な情報を重ね合わせると、木村さんもこうなってしまったことに対して、きっと心からの納得はされていないのではないか、と推察せざるを得ない現状ですが、発信を待っています。

 

…というようなことを考えていくと、説明会がすっきりといかなかったのは、

・前代表

・組織改革委員会(今回の事態を調査・報告し、組織への勧告を行った委員会)

評議員

・理事会

・被害者となった元職員の方々

という、少なくとも5者の関係が複雑に絡み合い、全員の合意形成を図ることが非常に困難であった、ということを表しているのだ、と改めて感じました。

いや、これホントに大変だと思います。。。

公益財団だからちゃんとしなければ、という声もあるとは思います。あるとは思いますが、それは例えば労務管理や会計処理をちゃんとしなければ、というのは、当然そうです。ただ、組織の危機に対してどう判断するか、どう対応するか、ということについてはどうでしょう。どんな組織だって、それが公益だってなんだって、結局は「人」が担っているわけなので、時間的な制約もあれば、感情も絡む。人それぞれの立場や、認知の特性や、理解度の違いや、こだわりや、譲れないことも絡む。そして、今回は今までの財団の顔であり頭脳であった前代表を切り離さざるを得ない、という決断をされたわけで。 

そう思うと、今回の説明会で、すっきりした説明が聞けるわけがないのです。それでよかったと思います。財団はこんな風に(ある意味非力に)なってしまいました、ということが伝わったことに意味があるのではないか、と。むしろ、今までわたしたちはどれほどのことを財団に期待し、背負わせてきたのか、ということを改めて考えなければならない。本当にそう思いました。

これまで、名古屋は中間支援組織の関係性が複雑すぎる地域、と、他の地域の方や行政の方から何度もお聞きしました。そんな中で5年前にあいちコミュニティ財団ができて、ほっとした人も多かったと思います。そんな周囲の期待、思惑と、財団の持っている先進性やハングリー精神、前代表の個性が、これまた複雑に絡み合い、にっちもさっちもいかなくなり、その影響がより内側へ、より弱いところへ向かってしまったのが今回の件だと言ってしまったら乱暴にすぎるでしょうか。

 

財団に期待すること

現在業務を委託していたり、連携している事業を持っている組織の方々にとってはそうはいかないんだろうな、と思いつつ…、わたし個人としては、とにかく時間をかけてでも、小さなところから丁寧に再スタートをしてほしいと願っています。会員は減るかもしれない、寄付も減るかもしれない、支援を受けたいという団体はいなくなるかもしれない。それでも、です。表面的な形を維持することにエネルギーを注ぐのではなく、小さくても確かな内実を、と願っています。

説明会の質疑の中でも申し上げましたが、今回の出来事が人や組織を応援する立場の団体の内部で起こってしまった、ということについては、重く受け止めていただきたいと思っています。冒頭で紹介した石黒さんのブログに、現在を未来の手段にするという言い回しが出てきましたが、現場の団体(支援先のNPO)やボランティアとして協力してくださる方々を財団のミッションを達成するための手段とみなしていなかったか、ということについては、十分に振り返ってほしい、と思っています。

 

ーーーーー

ひとまず、2月2日のご報告、でした。

参加できなかった方から「どうでした?」と何件かお問い合わせもいただき、それも後押しになって書きましたが、あんまり説明会がどうだったかを説明できていなくてすみません。。。かといって、自分語りまでも辿りつけなかったというなんとも中途半端な記事になりましたが、アップしようと思います。              

 

つづく…かもしれな…い…

「切実」ということ

先日こちらのシンポジウムに参加してきました。

「あいちトリエンナーレ2019」シンポジウム『日本の現代美術と芸術祭』を開催します | あいちトリエンナーレ

 

内容については、起業支援ネットの会報誌エールの編集長がTwitterで実況をしてくださっていたので、ぜひそちらのまとめをどうぞ。

togetter.com

こういうシンポジウムに観客として参加するのは久しぶりで、内容も刺激的だったことから、なかなか興奮が冷めません。多焦点。遅ればせながらさしかかる。いろんなキーワードがいまでもぐるんぐるんと。

…という状態で書いたブログということをご承知おきいただきたく。

 

登壇された松岡正剛さんは、千夜千冊でも有名な方。

千夜千冊TOP

 ※千夜千冊とは、一言でいうとめっちゃ膨大な本の情報サイトです。…っていう紹介にとどまらない、深く広く恐ろしい(?)森のようなサイトです。

 

わたしは、編集学校門徒としてあるまじきことに、千夜千冊の熱心な読者ではないのですが、時々めぐりあわせのように出会い、何度か繰り返し読んでいるものもあります。(スマホで読みにくいのがちょっとアレなんですが、きっと理由があるのだと思います(勝手な推測)。)

 

例えば、起業の学校のことで悩んだらこれ。

1559夜『アジールの日本史』夏目琢史|松岡正剛の千夜千冊

 

起業支援ネットのことで悩んだらこれ。

1625夜『夜中の電話』井上麻矢|松岡正剛の千夜千冊

 

そして、寒い日はこれ。

1000夜『良寛全集』良寛|松岡正剛の千夜千冊

今週は寒くて、昨日は東京方面は雪で大変!っていうニュースも多く、ふらりと読んでみたんですが、やっぱりいつもここで泣きそうになります。

---引用-------------------------------------------------------------------------------------------------------

 こうして、良寛はどんなときも、一番「せつないこと」だけを表現し、語りあおうとした。「せつない」とは古語では、人や物を大切に思うということなのである。そのために、そのことが悲しくも淋しくも恋しくもなることなのだ。それで、やるせなくもなる。
 しかし、切実を切り出さずして、何が思想であろうか。切実に向わずして、何が生活であろうか。切実に突入することがなくて、何が恋情であろうか。切実を引き受けずして、いったい何が編集であろうか。
 ぼくは思うのだが、われわれはあまりにも大事なことを語ろうとはしてこなかったのではないか。また、わざわざ大切なことを語らないようにしてばかりいたのではなかったか。良寛の詩歌を読むと、しきりにそのことを思いたくなる。

-----------------------------------------------------------------------------------------------引用おわり---

 

この文章に対して、感想など言いようもないのだけれど、昨日読んで、また最近いろいろなことを考えたり、仲間たちと話をしたりする中で、「切実」と「評価」「成果」はなじまない概念なんだろうな、と思いました。いや、概念とかの話じゃないな。”わたしは”切実が好きで、評価とか成果とかは多分、嫌いなんだ。

このご時世の中で、評価や成果が求められるのはわかる。それらが果たす役割もあると思うし、わたしには届きようのない世界の一部を支えていると思うので、嫌いなりに折り合いをつけようとはしています、はい、大人なので。審査とかのお仕事もいただいていますし。。。

けど、本来的には好きじゃない、ということからは目を逸らさずにいたいし、敏感でいたいなとは思う。評価というまなざしや、成果を志向しようとする中に、「切実」に対する感受性があるのかということ。「せつない」という”大切に思う気持ち”があるのかどうかということ。

 

追記:そして一番の問題は、好きじゃないって思っていいって、自分で思えなかったこと。志向した方がやっぱりいいんじゃないかな、みたいに思っていたこと。そう、これは誰かや何かではなくて、自分自身の問題。

けど、本当は一番、そこって大事なんだって思った今日。

今世ではこんな感じ

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なんか、いっつも食べてばっかじゃん!という誹りは甘んじて受けるとして。

今日はNPO界隈の素敵女子たちとウイグル料理をとやらを食べてきました。

 

実は「食」に関しては、あんまり貪欲ではないというか(あんなに肉ばっかり食べてるくせに…)。〇〇を食べてみたい!とか、△△っていうお店に行ってみたい!っていう欲求がほとんどありません。好きなものだったら、毎日同じものを食べていても、まったく平気です。

旅もそうだなぁ。行ってみたい場所とか、まったく思い浮かばない。。。

あぁ、普通に出不精ってことですね。誰かから聞いたことや、誰かが好きなことに興味を持つってことはありますが、結局、「人」がいないことには、わたしの世界はまったく広がっていかないのです(今日は本当にありがたい機会でした!)。

そんな自分を「つまらない」と思ったこともあるし、ぐんぐん自分の世界を広げていくことができる人をうらやましいと思ったこともあるけれど、今は、「ま、今世ではこんな感じかー」と思っています。

 

「今世ではこんな感じかー」ってなかなか便利な言葉。自分を受け入れるとかって大事と知りつつ難しいこともあるけれど、「今世ではこういう感じ」っていうと、ちょっとだけ視座がずれて、自分と向き合うというよりは、自分を斜めから眺める感じになるような。結構、気に入ってます。

隙間をつなぐようなこと

今日のお昼は、夏~秋にかけて実施された「ちた仕事起こしゼミ」の受講生のみなさんが企画された女子ランチ会へ。

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※この前菜のあと、がっつりお肉食べました(^^)

 

それぞれの進捗や、これからの野望(!)を順不同に語りつつ、お互いにつっこみを入れたり、いいね!と背中を押したりするのは、ゼミのときの様子そのまま。次の予定があったので途中で失礼したけれど、その時点で集まってからすでに3時間が過ぎていた(笑)。

 

こういう場も、「やりましょう!」って言ってくれる人がいて、「そうしましょう!」って言ってくれる人がいて、はじめて成立するわけで。ありがたいことだと思います。

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確か内田樹さんの本で、世の中には必ず「誰の仕事でもないこと」が発生する。やらなくても責められないけど、誰かがやらないと片付かないこと。誰かがやれば前に進むこと。そんなことを「あ、それ、やっておくよ」っていう人がいることで社会が回っている、それを誰もやらないことが続くとエライことになる、というようなことを読んだことがある(ような気がする。出典が探せなくて、ちょっと自信がない)。

これ、すごく大事なことだなぁと思っていて、身の丈の起業って、なんだかそんな意味合いも含んでいるような気がしている。

 

「あ、それ、やっておくよ」とごく自然にいえる場面が増えるように。

そのことで、しんどくなってしまったり、「やっとく」と言ったにもかかわらずできなかったりしたら本末転倒なんだけど。

精進したいとあらためて思った今日。

 

思い出したこと

仕事始め。

といっても、起業支援ネットは組織として仕事納めとか仕事はじめとか決めていなくて、なんとなく、「自分はこの日から休もう、とか、自分はこの日から来よう、とか決めて、なんとなく共有することになっている。(だから年末とかに「起業支援ネットはいつが仕事納めですか?」って聞かれると「えっとわたしはですね」と言って答えていた)

 

そろそろ軽やかなことも書きたいなぁと思いつつ、起業支援ネット会報誌aileの編集長のブログを読んで

yoshimi-deluxe.hatenablog.com

 

夏ごろにフェイスブックでこんな投稿したなぁと思いだした。

www.facebook.com

 

分けるけど分けない。

分けないけど分ける。

 

その行ったり来たりができるようになりたいと願う。

 

(ところで、このFBの埋め込みって、FBやってない人でも見れるのかな。。。?)

人と組織の関係についてここんところ考えていること(その2)

先日投稿した↓の記事の続きを考えてみたいと思います。

huurinntei.hatenablog.com

 

とはいえ、結論もオチもあるわけではなく。一緒にモヤモヤしていただければ幸いです。

 

 前回は、組織の理念に自らを投じる覚悟や物理的な時間・エネルギーに、創業者や代表などのリーダーとそれを支えるメンバー(雇用されるスタッフの場合も、非常勤の理事だったり、ボランティアだったりする場合も)の間には、「ズレ」があって当たり前、というようなことを書きました。ここを、口当たりのいい言葉でごまかなさない方がいいと。まぁ、書いてみれば、目新しくもなんともないことでした(汗)。

 

わたしの知る限り、やっぱりリーダーって組織のなかで誰よりもその社会課題のことを考えているし、誰よりも「求められていること」と「できること」とのギャップに焦燥感を感じているし、誰よりも働いているケースが圧倒的に多いです(あ、起業支援ネットは違うかもです。今でも、一番早く事務所を出るのはわたしです。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい)。

 

それはそれで、その人の「命の使い方」なのであれば、他者がとやかく言うことではないし、とやかく言ったところで大抵聞いてはくれません(^^;。

ただ、そういう働き方を見ている周囲が「それって違うんじゃない?」「おかしいんじゃない?」と言い辛くなってしまうことはよくあることで。「そこまでやっている人がそう言うならそうなのかな」っていう思考停止がはじまってしまうことや、

一方で、リーダーはリーダーで動けば動くほど情報が集まってきて、ネットワークも広がるのが常で、ほかのメンバーと”見えている景色”が違ってしまい、情報の流れが代表→ほかのメンバーの一方方向になり、「どうして一緒に考えてくれないんだろう。発言してくれないんだろう。」と孤独感に苛まれてしまうことや、

その孤独が高じてなのかなんなのか、リーダーが人の声に耳を貸すことが難しくなってしまうことについては、

もうちょっと何とかならないものかな、と思っています。

 

やっぱり繰り返しになりますが、もしそういう状況になっていたり、なりそうだったりしたときに、まずは現状をきちんと見つめることから始めるしかないのではないかなと思います。どんなに自分(たち)が望んでいた組織の姿とは違ってしまっていたとしても、現に「そうなっている」ということを認める力。

 

うーん、そう思うと、周りに「その人が言ったことなら、たとえ自分と考えや意見が全く違っていても、”もしかしたら自分の方が間違っているのかもしれない”と思える人」がいるというのは、ものすごく大事なことなのかもしれません。

そして、いろいろやばいかもしれないとうすうす感じたときや、本当に困る一歩手前のところで、そういう人にSOSを出すということも。

自分を励ましてくれる人や、応援してくれる人も大事ですが、「自らも痛みを感じつつ(=安全な場所から持論を述べるだけではなく)ダメ出しをしてくれる人」(それはスタッフでも理事でも外部の支援者とかでもいいと思いますが)をどれだけ大切に、たとえ厄介でも大切にできるかってことではないかなぁ。

 

非営利組織って、社会的に厳しい評価をされることもありますが、一方で小さな世界の中では「持ち上げられる」ことも多いので、なんというか、自分たちの客観的なポジションを俯瞰することがとても難しいように思います。その中で、できるだけ自分たちを相対化するためのエネルギーは、課題解決や理念に向かうエネルギーの10%くらいでもいいからとっておいたらいいのではないかなと思います。

 

…前回の終わりに書いたようなマネジメントの多様化の話にはなりませんでした。タイトル通り「書き留めたいことを書き留めたいように」書いておりますので、ご容赦を。

 

続くかもしれませんが、一回区切ります。

 

2018 明けましておめでとうございます

2018年を迎えました。

 

新年って「迎える」っていう、ちょっと受け身な感じがいいですね。

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仕掛けることも、迎えるしかないことも、味わっていきたいと思います。

 

自分自身の「強さ」を自覚した昨年。

弱さを拓いていくことの大切さも思いつつ。

自らに与えられた強さをどう使うかも大事なことだな、と思う今日この頃。

与えてもらった強さをどう使っていくのかを形にする一年にしていきます。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。