書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

”強さ”を得て失うもの

先週末、こちらのトークイベントに登壇させていただきました。

吉川トリコトーク「革命前夜は終わりました。」(NEW LOOK 2019)
https://www.facebook.com/events/1948480808781271/

 

小説家の吉川トリコさんとともに、吉川さんの作品「マリー・アントワネットの日記」を軸にしながら、ジェンダーについて語るというもの。

今振り返ると、いったい何を話したのかあまり覚えていないんですが(起業相談のときなんかもそうなんですが、集中しすぎるとそのときはものすごく深い話ができたような気がするのに、終わると自分が何を話したのかほとんど思い出せないことがある…)、楽しかった記憶だけは残っています。

だからいつか参加された誰かにレポート書いてもらないかな~と願っているんですが、かろうじて記憶に残っているものの中に終盤での吉川さんのこんなお話がありました。

 

女を、男を、人間を取り巻く社会の状況をいろいろと話した後に、吉川さんが「でも、わたしも強いんです。強い女なんです。だからいつ加害者側になるかわからない。どうにかして加害者にならないでいられるかということが自分自身のテーマなんです」とおっしゃった。隣で首がもげそうになりました。

 

なぜなら、わたしも同じだから。

 

先日、起業支援ネットの会報誌の記事のために、起業支援ネットのメンバーたちと対談をしました。(困ったときの内輪対談企画w 3月発行号。お楽しみに!)

そのときにも少し話したのだけれど、起業支援ネットに入ったときの自分は本当になんにもできなくて、それが悔しくて、早く役に立てるようになりたい、と思っていました。だから学んだし、考えたし、頑張った。そうしたら、だんだんできることが増えていった。(絶対的な努力量は、人様に比べたら足りないかもしれないけど、自分的には頑張った…)

 

でも、ある日(2年前くらい?)スタッフに「久野さんもエラくなっちゃったから、本音を話しづらくなった人もいると思いますよ~」と言われ(こういうことを面と向かって言ってくれるスタッフがいるのが、うちの自慢!!!)、ハタと気づいたのです。

別に全然エラくはなっていないんだけれども、それでも経験は増えたし、知っていることも増えた。だから、時には最短距離が見えることもあるし、誰かに伝えられることも増えた。

でも。

例えば「聴く」ことしかできなかったときの必死さでもって、今の自分は聴けているのかと。聴けていない、と思う。というか、「聴く」ことの大きな質的変化があったと思う。今の「聴く」だからこそできることもあるとは思うけれど、今思えばあのときの「聴く」はあのときだけの「聴く」だったのかもしれない。

 

強くならないとできないこともある。もし17年前に戻ったとしても、わたしはやっぱり必死で強くなろうとするだろう。でも、強さをきちんと御すことがこんなに難しいってことはだれも教えてくれなかったなぁと思う。

先日ある場所でちょっと声を荒げてしまう場面があった。おそらく自分で思っている以上に相手には「圧」をかけてしまったんだろうな、と思う。

 

強くありたい、とは今でもやっぱり思う。でも、その強さをどうしたら正しく扱えるのか、途方に暮れてしまうこともある。