書き留めたいことを書き留めたいように

起業支援ネット×よのなか×わたし

言葉を使うとき、そこに愛がありますように

ここ数日、周りでプチ批評ブームとも言えるようなムーブメント(?)が起きている。

 

【批評】[名](スル)物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。(goo国語辞書)

 

言葉にするということ。自分の意見を述べるということ。その中で自身の考えが整理されたり、そこから対話が生まれ、発想が広がり、新たなものが生まれることもある。自由にものが言えない雰囲気よりは、ずっとずっといいと思う。一過性のブームではなくて、積み重ねられていくといいなと思っている。えぇ、もちろん自分もその一端が担えたら、と。

 

そんなことを思いつつ、少し前に友人たちと話したときのことを思い出した。

同世代の、割と抽象的な議論も好むメンバーで、あれこれ楽しく真面目に話した帰り道。一人で名鉄電車に乗ったころに、友人からの「今日はありがとうね~」というようなメッセージが届いた。

その中に「わたしたちは、体験したことや感じたことを言語化する力を持っていると思う。その力を大切に使っていきたいね」というような言葉があった(すごくいいメッセージだったのに、ちょうどスマホの修理の狭間で、バックアップ漏れして消えてしまったのが悔やまれる。。。)

 

言葉にできる、というのは、例えば手先が器用、とか、足が速い、とか目がいい、とかっていうのと同じレベルでの能力だと思った方がいいのかもしれない。

もちろん、トレーニングや場数で上達はある。ただ、やっぱり得手不得手はあるもので、やる気の問題だけでもないという自覚は、書ける・言える人の方が持っておいたほうがいいと思う。それでいけば、まだまだ不十分とはいえ、多分、わたしも「書ける」し「言える」人間だということ。それは、自分が努力して獲得したスキルでもあるけれど、「与えられた」ものでもある、ということ。

 

「与えられた」ものならば、やっぱり愛をもって使っていきたい。批判も、つっこみも、文句だって、怒りの言葉ですら、そこに愛があるかどうかは、やっぱりにじみ出てしまうもの。どんなスタイル、どんな流儀であったとしても、その言葉が、誰かへの、できれば<世界>への愛のある、誰かを照らし、温めるものになりますように。誰よりも、自分自身に言いたくて、このブログを書きました。

 

「そこに愛はあんのかい?」って江口洋介も言ってたな(古すぎる)。

 

f:id:kunominako:20180529193829j:plain

※日曜日に漬けた梅。手仕事とか、丁寧な暮らしとか、全然苦手だけどやってみた!